哲学ノート (三木 清)

あらゆるユートピアはミュトス的意識から出てくる。ユートピアは純粋なミュトスではなくて My-tho-logie としてロゴス的加工物である。即ちユートピアは思惟し いの生産物である。ミュトスがミュトロギーにまで発展させられるには客体的表象と結び附くのほかないのであるから、あらゆるユートピアは存在の秩序において加工されたものである。しかるに危機意識としてのミュトス的意識はすぐれた意味において時間的であり、その時間は瞬間として本来の未来性によってアクセント附けられた現在であるところから、ミュトスがユートピアとなるとき、ユートピアはおのずから未来の像として構成される。このような未来は存在の時間における未来であり、かようなものとして「既に」の意味を担い、従って本来的な未来ではない。その限りすべてのユートピアは過去の像であるといわれ得るであろう。未来はこのとき瞬間的に限定されているのでないから、本来ただ無限定な彼方を意味することになり、従ってユートピアは遠い未来においてのみでなく、遥かな過去において求められてもよいことになる。ユートピアにおいては現実的な時間の意識は失われる。かくていまやユートピアは時間の観念から独立ならしめられ、永遠なるイデーとして構成されるに至る。懐古的なユートピアも、未来憧憬的なユートピアも、永遠なるイデーとしてのユートピアも、現実的な歴史的時間の意識の失われていることにおいては同じである。現実的な歴史的時間というのは事実的時間によって限定された存在の時間である。このようにして我々はユートピアにおいて本来のミュトスがその反対物に転形するのを見るであろう。ミュトスが根源的な時間意識から生れたものであるのに反し、ユートピアにおいては現実的な時間意識が失われる。ミュトスが対立または矛盾の意識から生れたものであるのに反し、ユートピアは均衡と調和の像であるのがつねである。ミュトスが行為的意識から生れたものであるのに反し、ユートピアは単なる知的産物である。かようなことの生じたのはみな当然であったであろう。なぜならユートピアは危機の産物であるが、その危機を単に意識において、思想の上だけで克服しようとするところに生れるものであるからである。

それだからといってミュトスは単純にしりぞけらるべきものではない。重要なのはそれを弁証法的に止揚するということである。実際、人間と動物との区別は先ずミュトスを有するか否かにあるといってもよいであろう。歴史的に見ても哲学や科学はもとミュトスから生れた。少くとも理論から区別される限りにおける思想の発展の根源は何等かミュトス的なものであるといわれ得るであろう。その意味で危機の経験なしには思想は生れないともいえる。或いはまた思想はミュトス的要素を含むことによって実践的であり得るといわれるであろう。ミュトスは主体的意識である。主体は事実即ち行的なもの Tat-sache である。従ってミュトスは或る行的意識である。そしてさきにいった如く実践 Praxis は主体的・客体的な活動として主体的な行を前提する限り、真に実践されつつある思想は何等かミュトス的要素を含んでいるといわれ得るであろう。ミュトス的要素を含むことによって思想は信の性格を得てくる。客観的に知られるだけでなく、主体的に信じられるのでなければ、思想は実践的とはならない。真に実践されつつある思想を或る人々のように直ちに宗教的であると考えるのは間違いであるにしても、それはミュトス的であるといわれ得るであろう。かような意味においてソレルの社会的ミュトス mythe social の思想は或る真理を含んでいる。しかしそれだからといってソレルの直接行動論には賛成することができない。真の実践は直接的でなく、媒介的でなければならぬ、それは理論によって媒介されねばならない。実践はつねに一定の客観的情勢における実践として理論的であることを要求されている。ユートピアにおいてミュトス的意識は弁証法的に止揚されるのでなく、かえって既に述べた如くそこでは根源的な行的時間的意識としてのミュトス的意識は単純に否定されてしまうのである。 ミュトスは存在論的認識と存在的認識との弁証法に止揚さるべきものであり、認識のかような弁証法は弁証法的な実践において現実的になる。かような実践においては危機は単に危機としてでなく同時にただ過渡期として捉えられる。或いは危機が情勢として、しかし情勢がまた危機として捉えられたところに真の実践があるともいい得るであろう。存在と事実との弁証法としての歴史の弁証法が真に弁証法的に、言い換えると、事実と存在とが単に非連続的としてでなく同時にまた連続的として捉えられねばならぬ。かような弁証法的な自覚がすぐれた意味におけるロゴスである。かようなロゴスは性格的である。しかしそれは価値から抽象的に区別された意味で性格的なのでなく、真に歴史的に性格的なのである。生ける思想はすべて歴史的性格を有し、歴史的性格において生きる。

世界観構成の理論

他の言葉と同じく世界観 Weltanschauung という言葉も歴史的起原をもっている。クレメンス・ボイムケルによると、この概念はもとロマンティク時代に、ロマンティクの精神において作られたものであって、ヨゼフ・ゲレスが一八〇七年に初めてその『ドイツ国民文学書』の中で “Weltanschauung” という概念を用いた。(※1) 当時この概念は個々の専門の特殊的な見方に対し、その限界を越えて世界の全直観への視野の拡大を意味した。かような世界観的要求が例えばシュライエルマッヘルの『宗教講演』において如何に大きな役割を演じているかは周知のことであろう。世界の全体的な意味を統一的に理解し体験しようという態度がロマンティックを特徴附けていた。

(※1) Vgl. Clemens Baeumker in : Philosophie der Gegenwart in Selbstdarstellungen. 1921. S. 51

世界観の概念がこのようにロマンティクの精神から生れたということは、世界観の問題が今日おかれている精神的情況を知るために注意を要する。それによって我々は、何故に例えば今日、ロマンティクに対し、その代表者としてのシュライエルマッヘルに対し、彼の子供としての文化プロテスタント主義に対し、徹底的に戦いつつある弁証法的神学の如きが、世界観というものを排斥して無世界観的 Weltanschauungslos であるべきことを主張しているか、の事情を理解することができるであろう。(※2) 弁証法的神学が世界観というとき、それは特定の意味即ちロマンティクの意味における世界観をいっている。 我々はもちろん、この弁証法的神学もあらゆる意味で無世界観的であるのみでなく、かえってそれは一定の世界観即ち世界は神の創造したものであると見るキリスト教的世界観を有するということができる。しかしながら現在においても、世界観というと知らず識らずロマンティクの見方の分担されていることが稀でないのを考えると、無世界観的であるべきことを主張する弁証法的神学の態度も理由のないことでなく、むしろ痛切な時代批判の意味をもっているであろう。我々は世界観の概念と一緒にロマンティクの哲学的諸前提をも無批判に受け容れることのないように警戒しなければならない。ロマンティクは世界観的であろうとした、そこにそのひとつの特色があった。これに対して、いま神学的問題には立ち入らないにしても、世界観的ということを拒否する弁証法的神学によって、世界観の問題に関して投ぜられた重要な問題として、我々はなかでも次の如きものを挙げることができるであろう。――一、世界観は究極において理性の思想であるか。弁証法的神学は文化プロテスタント主義がキリスト教をも理性的文化であるかのように看做み なし、その信仰内容をも理性の自律的な支配に従属させ、これをひとつの理性量として思惟し いすることに抗議する。かような理性量がそこでは世界観と呼ばれて排斥されている。それ故に世界観の問題にとって、世界観におけるいわば特に世界観的なものは理性の思想であるか否かが問題になるであろう。二、世界観というとき、多くの場合なにか統一的なもの、体系的なものが考えられる。そして実際ロマンティクの哲学は世界の全体的連関の調和的な、完結的な体系であることを期した。しかるに弁証法的神学によると、キリスト教の神の思想、人格の思想並びに創造者の思想は、ひとつの調和的な、完結的な世界理解の意味における「統一的な世界観」を基礎附けないばかりでなく、むしろこれを排除するものであり、キリスト教の神の信仰はまさにこのような世界観に対する意識的な、決然たる断念を意味している。 創造されたものであるということは、これを正しく理解すると、絶えず新たに不安であるということ、「全体の意味」のうちに逃避し得ないということでなければならない。被造物である世界は原理的に全体として思想において把握することのできぬものであると考えられる。かようにして問題は、世界観におけるいわば特に世界観的なものの本性は体系性と完結性であるか否かということであろう。三、弁証法的神学は宗教哲学的にでなく原理的に神学的に考えることを欲する。文化プロテスタント主義における宗教哲学的考え方は重点を根本において人間の側に置くものであり、従ってこのものは人間的思惟し いの規範に対しては責任を負うにしても、神との関係においては無責任な――verantwortungslos 即ち神の呼び掛けに、かくてまた隣人の呼び掛けに応えることのない――思惟し いであるとして非難されるのである。故に問題は、現実の人間は世界における存在である限り、弁証法的神学の考えるのとは反対に、あらゆる現実的な思想は何等かの世界観を含まねばならぬにしても、ロマンティクにおいてのように一切の超越的なものを排して世界を世界そのものから解釈することができるか、或いは後にディルタイがロマンティクの精神を継いで定式化したように「生を生そのものから理解する」ことが可能であるか、ということでなければならない。以上の如き根本的な問を、美的乃至ないし神秘的なロマンティク並びに観念論的な乃至ないし理性主義的なオプティミスムスをしりぞけて、「世界観」の否定を通じて根源的に問うたところに、世界観の問題に対する弁証法的神学の批判的(危機的)意味が認められるであろう。

(※2) 例えば Fr. K. Schumann. Der Gottesgedanke und der Zerfall der Moderne. 1920 を見よ。

かようにして我々は今日、世界観とは何かという問を新たに問うことを要求されている。現代のいわゆる世界観学 Weltanschauungslehre は我々の問に果して満足な解答を与えるであろうか。この場合先ず我々はこの世界観学がやはりロマンティクの子供であることに注意しなければならない。世界観学というものが問題として自覚されるに至ったのはとりわけディルタイの業績に負うところであり、彼の説はその後に現われた種々の形態の世界観学に比して今も依然として模範的な価値をもっている。しかるにディルタイの哲学はその系統からいうとロマンティクに連なるものである。彼は世界観の根本類型として自然主義(実証論)、自由の観念論、客観的観念論の三つを区別したが、そのうち彼自身はロマンティクの哲学がそうであった客観的観念論に最も近く立っていた。そこで彼の世界観学も根本においてロマンティクの諸特徴を含んでいる。「世界観の究極の根源は生である」、とディルタイはいう。彼によると、生は多面性でありまた全体である。もろもろの哲学体系はこのような生の歴史におけるそれぞれ一面的な表現にほかならない。生の構造の諸主要契機の相交替する一面的な強調の結果として、世界観はあらゆる場合にもろもろの対立において現われる。けれどもこのような諸対立はつねに一つの共通の地盤の上にある。諸体系の間の諸矛盾は自己をその諸主要形態において表現する生命の多面性にもとづくのであるから、もしひとがこれらの諸主要形態を生命の種々の方面の相対的な表現として捉えるならば、それらの諸矛盾は矛盾でなく単なる差異に過ぎないことになる。かようなディルタイの世界観論の中心思想の根柢こんていに見られるのは明かに、有機体説的、連続観的、表現論的、類型学的等の、ロマンティクと共通類似の思想であって、我々の単純にくみし得ないものである。その点についてはこれまで屡々しばしば批評を加えておいたから、ここではもはや繰り返さないであろう。 言うまでもなく我々はロマンティクを決してただ非難するものではない。ロマンティクの特に大きな功績は歴史的意識を発達させたことにある。ディルタイの世界観学は成熟した歴史的意識の所産としてその意図においても、その方法においても、その内容においても、たしかに多くの貴重なものを含んでいる。歴史的意識はつねに世界観学の基礎になくてはならぬものである。マックス・シェーレルなどの世界観論はこの点において欠けていると思う。しかしながらディルタイにおいて歴史的意識は先ずいわゆる歴史主義に、詳しくいうと歴史的相対主義に陥っている。オスワルト・シュペングレルの形態学的な世界観論の如きにおいてはこの傾向は更にはなはだしいであろう。歴史的意識をかような相対主義から救い、しかも歴史的意識の否定としての絶対主義にも陥ることなく、歴史的意識の本来あるべき相対と絶対との弁証法の上に世界観学を据えることが、今日我々の課題でなければならぬであろう。次に歴史的意識はディルタイにおいてその相対主義的傾向とも関係して解釈学的立場と結び附いている。 それはもろもろの世界観を全体的な生のそれぞれの表現として理解することによって生の豊富な内容を享受するにとどまる。それは単に理解的、従って観想的であって、実践的見地を含んでいない。しかるにもし世界観学がただ世界観を解釈するだけのものであるとしたならば、我々の今日の問題は、シェーレルの言葉を借りると、世界観学 Weltanschauungslehre ではなくむしろ世界観定立 Weltanschauungssetzung であるといわねばならぬであろう。(※3) 私は絶えず本来の歴史的意識は実践の立場に立つべきことを主張してきた。もとより哲学は科学である限り世界を解釈しなければならず、理論は実践にとって重要である。哲学は世界観の問題についても一定の解釈を与え、理論を提供しなければならぬ。世界観の定立 Setzung にしても、歴史的出来事として歴史的情況において行われるものである限り、歴史上に存在する種々の世界観に対する批判的対質 Auseinandersetzung をつねに予想している。そしてこのような対質にとって世界観学は必要な理論となるべきものである。

(※3) Vgl. M. Scheler, Weltanschauungslehre. Soziologie und Weltanschauungssetzung (Moralia, 1923)

しかるに現代の世界観学の多くが世界観定立に関して消極的乃至ないし懐疑的或いは否定的態度をもって出発していることは注目に値するであろう。そのことが実は世界観学と呼ばれるものの特色をなし、まさに世界観学の立場を形作るかのようにさえ思われる。世界観学の問題及びその解決は或る意味ではディルタイよりもむしろヘーゲルにおいて一層深邃しんすい雄大な形をとって現われていると見ることもでき、また前者の世界観学はその発展において次第に後者の現象学の立場に接近していったと解することもできる。ディルタイは世界観学の課題を特に「哲学体系の現象学」とも称している。しかしながら彼は当時勢力を有した実証主義によって弱められたロマンティケルであった。彼は独自の形而上学的体系の建設の熱情に燃えていたヘーゲルなどとは反対に学的体系としての形而上学はもはや不可能であると考えた。ディルタイによると、「形而上学的科学」は歴史的に制限された現象である。言い換えると、過去において可能であったような形而上学的組織は以後もはや不可能にされてしまっている。もっとも人間の内奥における人格的経験としての「形而上学的意識」は将来も永久に存続するものと見られる。そこで哲学が形而上学に関して現在なお為すことができ、また為すべきことは、みずからひとつの形而上学を樹立することではなく、たかだか形而上学についての歴史学的心理学的理解を得ること、形而上学の作られる歴史的心理的諸条件を探るということである。全体として彼においては諦めと懐疑の気分が支配している。彼は、ルードルフ・ハイムなどと同じように、独創的な積極的な形而上学の組織の時代はもはや過ぎ去って喚び戻し難く、歴史的考察が構成と建設とに代るべき場合であるという意見であった。このようにしてディルタイにおける世界観学は、独自の世界観的哲学の樹立を断念した結果、もろもろの世界観の歴史的心理的諸条件を解明するという企図に出たものと解することができる。しかしながらそれにもかかわらず彼の世界観学も実をいうと世界観的に無前提であるのではない。その基礎とされる生の哲学そのものがまさにひとつの世界観を表わしている。同様の事情はカール・ヤスペルスの世界観学の場合にも見出されるであろう。ヤスペルスにとっては世界観学は世界観の心理学にほかならず、本来の哲学には属しない。哲学者は静かな、責任をとらない観察者ではなくて、世界を動かす者、形成する者である。真に哲学の名に値する哲学は予言者的哲学である、哲学はかようなものとして価値表を掲げ、世界の意味と目的とを示し、人間生活に衝動を与え、即ち一言でいうと世界観を樹てる。世界観の心理学はこのような予言者的哲学とは反対の性質のものである。それは没価値的な、世界観的に無前提な、普遍的な観察であって、世界観の定立のために一定の態度をとるべきものでない。 このヤスペルスの見方はマックス・ウェーベルの思想に影響されているが、しかるにウェーベルが哲学を予言者的なものと考えることによって、哲学との区別において確立しようとした科学の理念そのものもすでに一定の世界観の上に立っているといわれるであろう。マックス・シェーレルも述べた如く、今日ひとの一般に科学と呼ぶものがすでにそれ自身唯一つの、即ち西洋的な世界観の所産であり、ただこのような世界観の支配のもとにおいてのみ可能であるとも考えられるであろう。科学と世界観との制約関係を明かにすることは世界観学のひとつの重要な課題でなければならぬ。ヤスペルスの世界観の心理学も世界観的に無前提なのでなく、いわゆる実存哲学の基礎に立っているのであって、彼の世界観論の面白さもこれにかかっている。かようにして一般の如何なる世界観学も、それがヤスペルスのいうように世界観の心理学であるにしても、或いはマンハイムなどにとっての如く知識社会学の一領域であるにしても、それ自身一定の世界観に制約されており、そしてその制約関係を解明することがまさに世界観学の問題でなければならぬとすれば、世界観学は究極において心理学でも社会学でもなく、――それらの価値はもとより否定さるべきでないが、――ディルタイのいうような「哲学の哲学」でなければならぬであろう。哲学の哲学は言うまでもなくひとつの哲学である故に、世界観を考察する立場はそれ自身世界観的に規定されている。ここにおいて世界観学はディルタイのいう歴史的自省 geschichtliche Selbstbesinnung の意味をもたねばならぬ。自省は単なる自省でなく、どこまでも歴史的自省でなければならぬ。けれども歴史的自省はディルタイにおいてのように単に観想的、解釈学的な立場にとどまるべきでなく、批判的、実践的な、マルクスの意味した如き自己了解 Selbstverständigung というところがなくてはならない。そうでなければ世界観学と世界観定立との間に積極的な関係は成り立たないであろう。簡単にいうと、歴史的自省は弁証法的でなければならぬ。弁証法的に自覚することによってはじめて世界観学は循環的であるという、即ち世界観学はみずから一定の世界観的前提に立っているという非難に打ち克ち得るのである。しかしこの場合弁証法的というのは如何なることであろうか。私はそれをここに世界観の構成を究明することによって具体的に示そうと思う。

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