哲学ノート (三木 清)

我々はもとより批評家・ジャーナリストの価値を過少に評価する者にくみするものではない。ジャーナリズムの批評は時事評論であり、今日の批評である。そこでは今日の精神において、今日の言葉と今日の気転をもって、すみやかにつ気持よく読まれるために必要なあらゆる手段を尽して、今日の思想が、それが新しいものと見えるような形式のもとに書かれる。ジャーナリストはできるだけ速くそして広く読ませるように書くのであって、殆ど二度と繰返して読まれるために書くのではない。彼等の書いたものは十二時間の後には、一週間、一ヶ月の後には恐らく顧みられないであろう。それだからといって、ジャーナリストの批評は無駄であろうか。講壇人はそのように考えがちであるけれども、決してそうなのではない。ジャーナリストの書いたものは十二時間、一週間、一ヶ月の後には誰も殆ど手に取ろうとはせず、二度と繰返して読もうとはしないであろうが、しかし一度は必ず読ませるように書くというのがジャーナリストの才能である。彼等の批評は十二時間、一週間、一ヶ月の後にはもはや批評でなくむしろ記録と見られるようなものになるであろう、しかし彼等の批評が過去の批評でなく、まさに現在の批評、今日の批評であるところに特別の重要性があることを忘れてはならない。ジャーナリズムとは反対にアカデミズムは主として過去の批評に関心するのがつねである。しかるに過去があるためには現在がなければならぬ。ベルグソンの哲学を持ち出すまでもなく、あらゆる生は時間において経過する。過去の記憶があるためには、この過去が現在であったのでなければならない。もとよりこの現在においてひとの目を惹き、センセイションを喚び起したものの実に多くは時と共に跡形もなく忘却の海の中に沈んでしまうであろう。その日暮しをせねばならぬジャーナリズムがそれらの多くのものを取り上げるというのは結局徒労ではないであろうか。たとえば、フランスの悲劇で何が残っているかというと、コルネイユとラシイヌである。しかるにコルネイユやラシイヌが存在するためには、その当時において、悲劇様式が生きた様式であり、従って他の人々によっても悲劇が書かれ、そして公衆がそれに対して関心をもっていたということがなければならぬであろう。文学史家ランソンがいっている如く、傑作というものは、一、他人の獲得した勝利の鐘を鳴らすようなものであることもあり得るし、二、また既に他人の攻撃によって弱り果てていた要塞を最後の一撃で打破ったというようなものであることもあり得るし、三、或いは多くの人々による襲撃開始の信号として打鳴らされた太鼓に過ぎないようなものであることもあり得るし、四、或いはまた四散していた人々を糾合きゅうごうし、いわば輿論よろんの日々の命令のなかに一思想を記入させたというようなものであることもあり得る。いずれにせよ、或る一人の人間の作品が傑作として現われまた伝えられるためには、他の沢山の人々によって同種の凡作が作られねばならぬといわれ得るであろう。それだから同様に、その日その日の批評がこのようなその日その日の文学的生に伴われることが必要であると考えられねばならないであろう。

我々はしばしば次のような言葉を聞く、批評はいつでも後からついてゆく、先ず創作家があり、作品が書かれねばならぬ、しかる後はじめて批評はなされ得るのである、それ故に批評は要するに第二次的な仕事である。このような言葉はもちろん全くは間違っていない。しかしながらそれは半分の真理でしかなく、またそれはアカデミズムの批評についてはより多く真理であるにしても、ジャーナリズムの批評についてはより少く真理であるともいわれよう。アカデミーにおける批評は古典的な大作家の後にくっつき、彼等の輝ける足跡を辿たどり、彼等の遺産を集め、その目録を作ることに大部分終始している。それが好んで取扱うのは完成された古典的作品である。ところが、ジャーナリズムの批評は毎日の喧騒に混じている。その批評は歴史がそこにおいて絶えず新たに作られつつある現在のうちにある。従ってその批評、その基礎である話される批評は、生成しつつあるもしくは生成せんとする著作家及び著作に直接に影響を与え、この著作家及び著作にいわば合体するのである。今日の批評は明日の創作に影響し得る。その場合批評家は協力者である。このように批評家の職分は、政治上にせよ、学問上にせよ、芸術上にせよ、行為し或いは創作する者の協力者であることであろう。身体をもたぬ精神たる批評家は自己を身体に結合することを心掛けねばならぬ。つねに第三者であるところに批評家の力があるといわれる、しかしまたそこに彼の無力もあるのである。自己を単に批評家として意識している批評家は悪しき批評家であろう。歴史における「批判的時代」である現代はまたそのような悪しき批評家の輩出する時代でもある。協力者であろうとする批評家の関心すべきものは何よりも実践によって運動しつつある現実の歴史でなければならぬ。しかるに自己を単に批評家として意識している批評家の陥る危険は、彼等が実際家と競争しようとし、特に彼等自身が物を書く人であることによって、他の物を書く人間即ち創作家(芸術上並びに学問上の意味において)、及び彼等と同様の批評家と競争しようとすること、しかもみずから実際家或いは創作家となることによってではなく、批評家として競争しようとすることである。そこからあらゆるソフィズムが生れ得る。物を書く批評家がソフィストとなる危険はさほど遠くはないのである。

ジャーナリズムの批評は今日の感覚と今日の言葉をもっての批評であるから、ジャーナリストはモダンで、いわゆる近代人でなければならぬ。しかるにこれは決して想像されるほど容易でない。「私には古代人であるよりも近代人であることがはるかに困難に思われる。」とジューベールも書いている。モダンであることがクラシックであることよりも容易であるかのように考えるのは講壇人の偏見である。新しいもの、生成しつつあるものの同情者、理解者、味方であるところにジャーナリストのすぐれた仕事がある。即ち上に述べた如く、ジャーナリズムの批評は現在の批評であることに特殊な重要性があるのであるが、それはかようなその日暮しの批評であるところから、その批評の原理或いは思想も全くその日暮しのものになってしまう危険をもっている。その危険は、事実においては無主義、無原則、無思想でありながら、何か或る、そして新しい、主義や原則や思想をもっているかの如く振舞うようにされているところにある。批評の精神は或る意味では懐疑のこころである、懐疑のこころは相対性の感覚である。現に存在する一ダースの新聞や雑誌を毎日走り読みすることによって我々は何を得るであろうか。相対性の感覚もしくは智慧ち えである。そしてほんとをいうと、それがまたかくも多くの批評家を作り出しつつある原因のひとつともなっている。しかるにそのような相対性の智慧は、この智慧を有する者によって我々に与えられるのであるか。決してそうでなく、むしろ反対に、それは断言し、主張し、宣言する人間によって我々に与えられるのである。「ジャーナリズムにおいてはあらゆる方法がい、だがモンテエニュの方法は例外だ。」とエミール・ファゲエが書いている。ジャーナリストは「私が何を知っているか」といってはならぬ、「私はすべてを知っている」といわねばならない。ジャーナリズムにおいては「ひどくぶつことが問題だ」ともいわれている。諺に、賢者は只一冊の本の人間を恐れるというが、この言葉をうけてひとはいう、だが只一つのジャーナルの人間の場合は如何であろうか、と。彼はもとより恐るべきである。しかしながら一ダースのジャーナルを読む人間にも新しい危険がある。彼は結局アイロニイと懐疑に陥り、実践的意志を磨滅させられるという危険がある。それはともかく、現在の批評に従事するジャーナリストには無原理、無原則になる危険があり、そして彼等が原理や原則の上に立とうとするとき、今度は反対に批評がオートマティズムに陥り、公式論乃至ないし結果論になる危険がある。しかるにこのようなオートマティズムに対して防衛することがまさに批評の任務であったのである。批評ということと原理や原則の適用或いは応用ということとは違うのであって、批評家と学者とが違ったものと考えられるのもそのためである。批評は特殊を普遍の単なる一事例として説明するのでなく、普遍と特殊とのそれぞれの場合におけるそれぞれの生きた具体的な関係を発見し、樹立することに努めなければならない。その意味において批評の精神は弁証法の精神であり、また逆に批評の精神を離れて弁証法はないともいい得るであろう。

ところでアカデミズムの批評は、ジャーナリズムの批評が現在の批評であるのに対して過去の批評であるのが普通である。そして実際において現在の批評と過去の批評とは同じ機関、同じメカニズム、同じ才能を要求するのでなく、従って同一の人間が同時に両者に成功するということは殆ど不可能であるように思われる。批評家・ジャーナリストと批評家・プロフェッサーとは批評の二つの異る範躊に属している。事実を見ても、教授たちは例えば平安朝時代或いは徳川時代の作家や作品の批評はするが、同時代の作家、昨日今日の作品の批評はあえてせず、よしんばしたとしても成功し得るかどうか、疑問である。同じ人間について見ても、その青壮年の時期に同時代のものの批評に成功したにしても、一生そうあることができるということは稀であろう。それだからサント・ブウヴは後にはポール・ロワイヤルの研究に、即ち過去の批評にのがれたし、かつてはすぐれた批評家・ジャーナリストであった吉野作造博士の如きも晩年には主として歴史的研究に没頭されたようである。ところで話すことは書くことに先立つ。ジャーナリズムの批評が談話もしくは会話に基礎をおくに反して、教壇の批評はその起原を説教から発する。以前学校の仕事をしていたのは教会や寺院であった。そこで類型的なジャーナリズムの批評には何となく談話における雄弁のひびきがあるし、類型的なアカデミズムの批評には説教における雄弁の響があるように感じられる。

しかし批評家・プロフェッサーの批評は話すことに基礎を有するのではない。話すことの現実性は談話であり、会話である。プロフェッサーはなによりも読む人間である。詩人は感じたことについて語り、旅行者は見たことについて語り、そして教授は読んだことについて語る。読者の世界が彼にとって実在の世界となる。しかるに読むということはひとが想像するほど広く及び得るものではない。もちろん正直な批評家は原作を読んだものについてのほか書かないであろう。けれども彼は読んだもののすべてを想い起し得るわけでなく、また多くの場合記憶に信頼して話すことと他人に信頼して話すこととの間に実際上何等違いがないことがある。ひとは自分の書庫の本を毎朝読み返すことができるものでない。サロンの批評は時として或る新刊書について自分で読まないでただ読んだ人の話を聞くだけで定まった意見を作ることがある。今日或る人々はもとの論文やもとの作品を読まないでただ新聞や雑誌の論壇時評や文芸時評を読むだけでその論文やその作品について定まった意見を作っている。これはもとより歓迎すべきことではない。しかしながら批評家・プロフェッサーといえども時には同様の遣方やりかたをしないということは不可能である。そこから先ずひとつの危険が従って来る。即ち彼等は著者についての自分自身の感情及び判断を表明する代りに、著者についての伝統的意見を編纂へんさんするにとどまるということが生じ得る。言い換えると、その題目について従来オーソリティをもった批評家が書いているところのもの、或いは学校で教えられたところのものを繰り返すに過ぎないということになる。 伝統はもちろんそれ自身として非難さるべきものでなく、伝統なしには文化の発展もあり得ないのであるけれども、他方において伝統は批評が何よりもそれに対して防衛しなければならぬところの精神のオートマティズムを惹き起しやすいものである。自分の責任を回避し、なるだけ無難な批評をするために、或いは自分の思惟し いの怠惰をいつわり自分の無見識を隠すために伝統に頼るということもなくはなかろう。講壇の批評が知らず識らずの間に如何にはなはだしく伝統に支配されているかは、それがそのような伝統の欠けているところ、即ちまさに今生成しつつあるものに対しては殆ど理解することを知らず、これをすべて何か軽佻けいちょう浮薄ふはくなものとして非難するだけであるのが普通であることを見てもわかる。講壇の批評はだいたい一世代遅れている、それは新しいもの、進歩的なものに対する戦争の状態において生きるように余儀なくされている。伝統についても、それは伝統を継ぐものであって伝統を作るものではない。伝統を作るものはむしろ話される批評、従ってまたジャーナリズムの批評である。この種類の批評によって例えばフロベールやボードレールなどは講壇の批評に押し附けられ、かくて古典の位置を獲得するに至ったのである。それが過去の批評であるところから、講壇の批評が歴史的相対主義に陥りやすいということはまたそれの他のひとつの危険である。広く歴史を見渡すとき何等絶対的なものは存しない。或る立場、或る思想、或る形式を絶対的としてそれに熱中し熱狂するが如きは子供らしいこと、無知と無学とによるものと考えられる。そういう博識なプロフェッサーたちにおける誤謬ごびゅうは、真の歴史は過去の歴史でなく現在の歴史であるということを実際に理解しないことである。現在の歴史は行為において行われ、しかるに行為するためには一方に決めることが必要であって、相対主義の立場においては行為することが不可能である。プロフェッサーたちのいわゆる学者的良心はしばしば生活に対する良心に背反する。彼等はジャーナリズムの批評が性急な、尚早しょうそうな断定を下すことを非難する。彼等のいわゆる学者的良心は、それが性急な仕事だという口実のもとに急ぎの仕事の必要に服することを拒絶し、それは決定的な仕事でないという口実のもとに有用な仕事に従うことを拒絶し、かくてつまり艱難かんなんなる、迂余う よ曲折せる生活のために尽すことを拒絶するのである。いわゆる学者的良心はペダンティズムに終る。仕事をしない口実としての細心或いは慎重というものほど学者における陰鬱いんうつなペダンティズムはないであろう。

アカデミズムの批評は、この派の一頭目と見られるブリュンチエールの言葉にると、「鑑別し、分類し、説明する」ことである。ジャーナリズムの批評の関心するのが個々の具体的なもの、この事件、この人物、この作品であるのに対して、アカデミズムの批評の関心するのは或る一般的なもの、主義や流派、様式や形式である。それは多様なものの間の連鎖と連続とを求めることに苦心する。従ってその批評は構成による批評である。批評することはそこでは個々のものを鑑別して一定の範躊に入れ、部類に分け、一般的規則から説明することである。それだからアカデミズムの批評は飛躍的なもの、非連続的なもの、革命的なものに対して自然的な嫌悪もしくは恐怖をもっている。新しいもの、生成しつつあるものに対して少くとも懐疑の眼を投げかける。このようにしてそれは現在の現実から面をそむけて過去の歴史の中へ逃げ込む。現在に対しては真に批評するのでなく、固定した一般的規則や形式を無駄に、しかし猛高たけだかに命令し、教訓するにとどまる。批評は訓戒に変るばかりでなく、批評はむしろ歴史に、思想史に、文学史に、等々に変る。しかるに本来をいうと批評の精神は現在の精神である。それは過ぎ去ったもの、完成したものに対する感覚であるよりも、来たりつつあるもの、生成しつつあるものに対する感覚である。しかもこのような批評の精神なしに最上の歴史が書かれ得るか、疑問である。もとよりこの頃のベルグソニスムの批評家たちのように歴史的方法を不当に軽蔑することはいましむべきである。過去の歴史を理解することなしには現在の批評も的確に行われることができない。我々は歴史の弁証法的発展の思想の上に立ち、従って非連続と共に連続を、質的飛躍と共に量的増大を考える。ジャーナリズムの批評がその日暮しの批評として無原理、無原則の弊に流れやすいということも認めねばならぬ。批評は批評することによって一般的なもの、普遍的なものを求めなければならない。或いはヘーゲルが『哲学的批評の本質に就いて』という論文のなかで述べているように、イデーなしには批評は不可能であるといい得るであろう。しかしながら普遍的なものはそのものとして抽象的に固定させられてはならぬ。普遍的なものは生命的なものとして自己を種々の現実の形態に分化しつつ発展する。渾沌こんとんとして捉えどころのないように見える現実のうちに一般的なものを発見するのが批評の任務であり、しかしひとたび一般的なものが樹立された後にはその硬化に対して防衛することが批評の任務である。

右に述べた二種類の批評のほかになお第三の種類の批評がある。ティボーデーは『批評の生理学』において、自然的批評、専門的批評及び大作家の批評という三種類を掲げている。文学についていうと、わが国でも創作家が批評を書くことは多く、あまりに多過ぎると思われるほどである。反対に、新聞雑誌で専門の文学史家に批評を書かせることをもっと試みてもかろうと思う。それはともかく、創作家の批評とは如何なる性質のものであるかを考えてみよう。

言うまでもなく我々は創作家の批評を種類において批評家の批評と区別される限りにおいて問題にしなければならぬ。例えば正宗白鳥氏がこの頃書かれる批評の如きは創作家の批評でなくむしろ批評家の批評と見らるべきであろう。創作家の批評はそのものとしては自己の創作の見地からの批評である。従ってそれは先ず単なる趣味の批評ではない。趣味の批評はかえって教養ある公衆の批評であり、話される批評である。創作家が最上の趣味の人間であるかどうかは疑問である。趣味はそれだけでは何物も創造しない。あまりに趣味の豊かな芸術家は十分に冒険的であることができず、泳ぐために水の中へ敢て飛び込むことができないであろう。趣味は臆病なものである。「我々を無くするひとつの物、我々を束縛するひとつの馬鹿げた物がある。それは『趣味』、よい趣味である。我々はそれを持ち過ぎている、我々は必要以上にそれに構っているというのである。」とフロベールも書いている。創作するには情熱が、プラトン的なマニアが、洗煉されたものよりもむしろ自然的なもの、フィジカルなものが必要である。趣味は既に在るもの、実現された作品の上ではたらくのであって、何か全く新しいものを作るにはそれだけでは無能力である。そしてまた創作家の批評が公平であるとは誰も信じないであろう。あまりによく理解する者は実践的であることができぬ、或いはむしろ、すべてを理解する者は何事も真に理解していないのである。創作家の批評における偏見、不公正を指摘することは容易である。もっとも、公平な批評が必ずしも有力な批評ではない。世の中には無理のない批評でしかもそれから何も学ぶことのできない批評がある。このようにして創作家の批評は自分と反対の思想、傾向、気質の作家及び作品を批評した場合よりも自分と同じ気質、傾向、思想の作家及び作品を批評した場合に面白いもの、有益なものが多い。欠点の批評よりも長所の批評に美しいものがある。その批評の美しさは、情熱と感激、共感と共鳴をもって、自分とコンジーニアルなものにおいてそのジーニアスを発見してゆく深さである。

いま芸術家の場合についていったことは思想及び学問の領域における創造者、発見家、体系家などについても或る程度までいわれ得るであろう。すべてそれらの人々は独立の批評的文章を書かないにしても何等かの仕方で批評している。批評を含むことなしには創造することもできないというのが人間的創造の約束であるように思われる。彼等は批評家によって批評されるばかりでなく、自分自身でも批評する。彼等は彼等の批評家をも批評する、しかも批評的文章によってでなくむしろ自己のオリジナルな著作によって批評する。彼等の創作は他の批評に対する熱烈な答弁であることがある。かくて要するに人間の世界においてはすべてが批評する者であると共に批評される者であるとすれば、最後に批評する者は誰であるか。それは歴史であると答えられるであろう。この答は全く正しい。しかしその場合、歴史はまた人間の作るものであるということを附け加えるのを忘れてはならない。だから批評家をことごとく気にする者は馬鹿である、しかし批評家を全く気にしない者も馬鹿であろう。ところで歴史を動かす大勢力は大衆である。それ故に恐るべきは批評家でなくて大衆であるといえる。社会的に評価されなくなるや否や、如何なる仕事も忘却の海の中に影を没しなければならないのである。そこでまたあらゆる批評する者の用い得る最も恐るべき手段は最も簡単な手段である、即ち黙殺するということである。今日の多くの批評家の欠点はこの有効な手段を用いることを忘れがちであるところにあるといえるであろう。

さて批評はかつて天才の頂上に達したことがあるであろうか。批評が批評としてそこに到達したことは未だなく、またそれは不可能であるようにさえ思われる。批評家は身体のない精神であるといわれる。しかるに身体的なもの、自然的なもの、物質的なものなしには天才はない。天才とは行為し、生産し、創造する者であるからである。身体のない精神であるような批評家が天才的なものに達することは不可能であろう。かつて存在する最上の批評は単なる批評家によって書かれたものではないのである。批評の傑作といわれる『パイドロス』を書いたのは哲学者プラトンであって、彼は単なる批評家ではなかった。き批評家は身体をもてる精神でなければならぬ。しかるに批評家が真に身体をもつとき彼は批評家以上のものとなる、彼は実践的指導者となり、或いは文化の諸領域における創作家、創造者となるであろう。しかしまた他の方面から見ると、批評の精神なくして指導者も、創作家もないであろう。指導者や創作家と並べて、批評家の位置は何を意味するであろうか。批評家は啓蒙家である。かくいうことによって我々は批評家の価値を低く評価しようとするものではない。他の機会に述べた如く、社会の転形期は一般に啓蒙時代として特徴附けられ得るとすれば、このような時代における啓蒙家の役割は決して小さくはないであろう。特に批評家・ジャーナリストの仕事は啓蒙家であることにある。ジャーナリストを通俗化する人のように見る見方は間違っている。従来の学問上の定説或いは通説を真理としてこれを通俗化するだけでは生きたジャーナリストではない。彼等はむしろそれを訂正し、作り直す人である。彼等の優秀な者は、十八世紀のアンシクロペディストがそうであったように、当代の立派な学者である。しかし彼等はいわゆる学者ではない。彼等にとっては純粋に学究的な問題ではなくて社会の現実的な問題が関心の中心である。ジャーナリストの本質は、学問を通俗化することにあるのでなく、新しいイデオロギーを代表し、独特の文体をもち、そして問題の或る特殊な取扱い方をするところにある。彼等は学者であるよりもむしろ広義における文学者であって、十八世紀の百科辞書家と同じく文学史上に独自の位置を占むべきものであろう。今日のジャーナリストもあのアンシクロペディストと同じく或る特殊な文学形態を生産しつつあるのであり、またそうすることを要求されているのではなかろうか。啓蒙とはふるいイデオロギーに対する新しいイデオロギーの宣伝及び普及を意味している。転形期の社会においては相対立するイデオロギーが存在するものであるから、啓蒙は批評を離れては行われ得ない。そこに批評家の批評家としての歴史における役割がある。

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