親鸞 (三木 清)

さて三願とは何をいうのであるか。右の文によれば「万行諸善の仮門」、これが第一の段階である。これは『大無量寿経』における第十九願に当る。その文にいう、

「たとひわれ仏をえたらんに、十方の衆生、菩提心をおこし、もろもろの功徳を修し、心を至し発願して、わが国に生ぜんとおもはん、寿終のときにのぞんで、たとひ大衆と囲遶して、その人のまへに現ぜずば、正覚をとらじ。」

この文によってこの第十九願は「修諸功徳の願」と名づけられており、「万行諸善」というはこれを指している。弥陀の本願は生の現実に徹入する。この願、詳しく言えば、道心をおこし、これを成就させるためにもろもろの善行を修め、かくして至心をもって発願し、その修めるところの善行をもってわが浄土に往生しようとする衆生があるとき、その人の臨終にもし観音勢至らの大衆とともにその人の前に現われて来迎しないならば、――そこでこの願は臨終現前の願、現前導生の願、来迎引接の願ともなづけられる――われは正覚を聞かないであろうという、弥陀の誓いは、現実にかくのごとき人間の存在することを現わしている。本願はつねに歴史的現実(機)に相応するところの衆生済度の愛の願いである。ひとは邪道を離れて仏門に入る。そのとき彼がまず為そうとすることは何であるか。もろもろの善を行ない、もろもろの功徳を積むことである。かように善を行ない、功徳を積むのでなければ浄土往生は不可能であると考える故である。彼は自己の修めた万善万行によって、それが原因となり、その結果として浄土往生が遂げられると考える。これは理義明白である。これよりも明白な理義はない。これ以外に理義はあり得ないもののごとくである。彼の発願はきわめて真面目である。彼は自己の力のあらんかぎり善行を修め、功徳を積もうとする。彼の努力はきわめて真面目である。しかし彼が真面目であればあるだけ、彼が努力すれば努力するだけ、彼は自己の虚しさ、自己の偽りを感ぜざるを得ない。外から見れば一点の非の打ちどころのない生活にも、内に省みるとき虚偽が潜んでいることが自覚せられる。他人の不幸を憐んで物施しをする者に、自己の優越を誇り、他人の不幸を喜ぶ心が裏にないか。心において一度も窃盗をしたことのない者、姦淫をしたことのない者がない。道徳を守ることが、単に名利のために過ぎないということはないか。外においてどれほど善を行なおうとしても、悪心は絶えず裏から潜んでくる。かくして、

「しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道をいでて、半満権実の法門にいるといへども、真なるものは、はなはだもてかたく、実なるものは、はなはだもてまれなり。偽なるものは、はなはだもておほく、虚なるものは、はなはだもてしげし。」

と批判せられるのである。

もとよりかくのごとき種類の人間にも弥陀は手をのべる。「すでにして悲願います、修諸功徳の願となづく。」これが第十九願である。ここに得られる往生は「双樹林下往生」と呼ばれている。双樹は沙羅双樹であって、釈迦は拘尸那クシナ城外の沙羅双樹の下で涅槃に入ったと伝えられる。双樹林下往生というのは自力修善の人々の往生をいうのである。しかしこの願の本旨は臨終現前とか来迎引接とかにあるのであろうか。そこにさらに何かより深い意味があるのであろうか。我々の思惟し得る限りにおいては、みずからあらゆる善行を励み、これを差し向けて浄土に往生しようとすることは、理の当然であって、それが究極のものである。これ以外に往生の道はないはずである。しかしながら、もしそうであるとすれば、はたして我々は実際に善を修めているのであるか。深く省みれば省みるほど自己の無力を歎ぜざるを得ないであろう。もとよりある者は自己が何ら背徳の行為のないことを考えて満足しているであろう。この自己満足は、しかるに、真に往生をおもう心がないことから来ている。それはあさはかな現実肯定にもとづいている。そこに超越的なものない。そしてこれは現実についての認識の不足にもとづいている。これに対して、外からは一点非の打ちどころのないように見える生活をしながら、しかも絶えず不安に襲われ、絶望せざるを得ないのは、浄土往生のねがいの切なることによるのである。したがって修諸功徳の願は、自力の観念を放棄せしめんがためのものである。自己の無力に対する自覚は往生浄土のねがいが真面目であればあるほど強い。それ故に真実なるものはこのねがいのみである。それ故に親鸞は第十九願を「至心発願の願となづくべきなり」というのである。この願の真意はまさにここに存するというべきである。第十九願の趣旨が至心発願にあるかぎり、これは究極的なものでなくなり、次のより高い段階に廻入せざるを得ない。

自分の行なう善によって往生を求めて絶望した者はいかにすべきであるか。ここに弥陀は手をさしのべ給う、「すでにして悲願います、植諸徳本の願となづく。」ここに願がある。第二十願がそれである。いわく、

「たとひわれ仏をえたらんに、十方の衆生、わが名号をききて、念をわが国にかけて、もろもろの徳本を植ゑて、心を至し廻向して、わが国に生ぜんとおもはん、果遂せずば、正覚をとらじ。」(一四〇二)

先の三願転入の文において「善本徳本の真門に廻入し」とあるのは、この願に相応する。この願の文に従って、それは「係念定生の願」とも「不果遂者の願」ともなづけられる。

四 宗教的真理

親鸞がこころをつくして求めたのは「真実」であった。彼の著作をひもとく者はいたるところにおいてこの注目すべき言葉に出会う。『教行信証』という外題で知られる彼の主著の内題は『顕浄土真実教行証文類』と掲げられている。そしてその前四巻は「顕浄土真実教文類」「顕浄土真実行文類」「顕浄土真実信文類」「顕浄土真実証文類」というように、一々真実という言葉が付けられている。すなわち真実の教、真実の行、真実の信、真実の証を顕わすことが彼の生涯の活動の目的であった。まことに真実という言葉は親鸞の人間、彼の体験、彼の思想の態度、その内容と方法を最もよく現わすものである。彼が明らかにした真実の教と行と信と証とがいかなるものであり、また相互にいかなる関係にあるかについては、私の研究の全体を通じて次第に述べられるであろう。ここではまず一般に真実というものが何を意味するかについて、その一般的性格を論じておかねばならぬ。

宗教は真実でなければならない。それは単なる空想であったり迷信であったりしてはならぬ。宗教においても、科学や哲学においてと同じく、真理が問題である。ただ宗教的真理は科学的真理や哲学的真理とその性質、その次元を異にするのである。もとより宗教の真理も真理として客観的でなければならぬ、客観性はあらゆる真理の基本的な徴表である。親鸞の宗教はしばしば体験の宗教と称せられている。かく見ることはある意味においては正しい。宗教的体験の本質は内面性であり、親鸞の宗教は仏教のうち恐らく最も内面的であることを特徴としている。しかし体験はそれ自身としては主観的なもの、心理的なものを意味している。したがって体験の宗教ということは主観主義、心理主義に陥ることになり、宗教は真理であるという根本的な認識を失わせることになり易いのである。真理は決して単に体験的なもの、心理的なもの、主観的なものであり得ない。もとより宗教的真理の客観性は物理的客観性ではない。その客観性は経において与えられている。経は仏説の言葉である。信仰というものは単に主観的なもの、心理的なものではなく、経の言葉という超越的なものに関係している。「それ真実の教をあらはさば、すなはち大無量寿経これなり。」と親鸞はいっている。経は釈尊の説いた言葉であり、その真実性は釈尊の自証に基づくのである。しかし釈尊は歴史的人物であるとすれば、その言葉はいかにして真の客観性、真の超越性を有するであろうか。釈尊の自証といっても、それはいかにして真の客観性、真の超越性を有するであろうか。仏教における聖道門は釈尊を理想とする。それは釈尊によって自証された法を自己自身において自証しようと努力する。経の言葉とはそれ自身として絶対性を有しない。かくしてそれは宗教であるよりも道徳ないし哲学であることに傾くのである。聖道門は釈尊を理想とする自力自証の宗教として、そこに真の超越性は存しない。しかるに浄土門は釈尊を超越した教である。親鸞は真実の教である『大無量寿経』について、「如来の本願をとくを経の宗致とす。すなはち仏の名号をもて経の体とするなり。」といっている。弥陀如来の本願や名号は釈尊を超越するものである。真に超越的なものとしての言葉は釈尊の言葉ではなくて名号である。名号は最も純なる言葉、いわば言葉の言葉である。この言葉こそ真に超越的なものである。念仏は言葉、称名でなければならぬ。これによって念仏は如来から授けられたものであることを証し、その超越性を顕わすのである。本願と名号とは一つのものである。経は本願を説くことを宗致とし、仏の名号を体とする故をもって真に超越的な言葉であるのである。かくのごとき教として『大無量寿経』は真実の教である。

しかしこの超越的真理は単に超越的なものとしてとどまる限り真実の教であり得ない。真理は現実の中において現実的に働くものとして真理なのである。宗教的真理は、哲学者のいうがごとき、あらゆる現実を超越してそれ自身のうちに安らう普遍妥当性のごときものであることができぬ。それはそれ自身のうちに現実への関係を含まなければならぬ。弥陀の本願はかくのごとき現実への関係において普遍性を含んでいる。それは「十方衆生」の普遍性である。すなわち第十八、十九、二十の三つの重要な願はいずれも「十方衆生」という語を含んでいる。十方衆生という現実の普遍性への関係は、本願において、後天的に付け加わってくるのではなく、かえってもともと本願のうちに内在するのである。したがって本願の普遍性は単に経験的普遍性ではなく、先天的な超越的な普遍性である。普遍性は真理の基本的な徴表であるが、単に経験的な普遍性は真の普遍性であることができぬ。しかしまた単に超越的な普遍性は現実との関係を欠いて真の普遍性の意義を有しない。本願の普遍性はかくのごとき抽象的な普遍性ではなく、十方衆生の普遍性をそれ自身のうちに含んで、現実的普遍性への傾動をそれ自身のうちに含んでいる。

しかしながら十方衆生の普遍性もなお抽象的である。宗教においてはどこまでも自己が救われるということが問題である。理論の幽玄も論理の透徹も、その教法が自己を救うものであるか否かという切実な問の前には、何らの権威も有しない。自己は十方衆生のうちに含まれると考えられる。しかし単にかく考えられる自己は類概念のひとつの例としての自己に過ぎず、生きた真に現実的な自己ではない。十方衆生はそれ自身としては類概念である。宗教的真理は実存的真理、言い換えると、生ける、この現実の自己を救う真理でなければならぬ。親鸞が求めた教法はまさにかくのごとき実存的真理であったのである。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」と『歎異鈔』にいわれている。彼は教を単にその普遍性において見たのではない――それは単に理論的な態度に過ぎない――彼はこれを絶えず自己の身にあてて考えたのである。『教行信証』において種々の経論を引いて諄々として教法を説き去り説き来る親鸞は、諸所において突如として転換していわゆる自督の文を記している。この劇的な転換の意味は重要である。この自督の文は電撃のごとく我々の心を打つ。今や彼は自己にかえって客観的普遍的な教法を自己自身の身にあてて考えるのである。自督とは自己の領解するところをいう。教法の真理性は自己において自証されるのでなければならぬ。教は誰のためでもない、自己一人のためである。かくして「十方の衆生」のための教は実は「親鸞一人」のための教である。普遍性は特殊性に転換する。かかる転換をなしおわることによって普遍性もまた真の普遍性になるのである。今や特殊性に転換した普遍性は現実的に普遍性を獲得してゆく。教をみずから信じた自己は人を教えて信じさせる。いわゆる自信教人信の過程において十方衆生の普遍性が実現されてゆく。このとき十方衆生はもはや類概念のごとき抽象的な普遍ではなく、自己のうちに特殊性をそのままに含む具体的な普遍となる。それは同朋同行によって地上に建設されてゆく仏国にほかならない。

『末灯鈔』に収められた慶信の師親鸞への消息の中には、「摂取不捨も信も念仏も、人のためとおぼえられず候」とある。

「我が歳きはまりて安養浄土に還帰すといふとも、和歌の浦曲の片雄波よせかけよせかけ帰らんに同じ。一人居て喜ばば二人と思ふべし。二人居て喜ばば三人と思ふべし。その一人は親鸞なり。

われなくも法は尽きまじ和歌の浦

あをくさ人のあらんかぎりは。」

といわゆる『御臨末御書』の中には親鸞の遺言として伝えられている。「親鸞一人」のためのものと思われた救済の教は、救済の成立すると同時にそれがもともと「十方衆生」のためのものであることが理解されるのである。

ところで本願は言うまでもなく弥陀の本願である。経によれば、この仏は仏と成る前には法蔵菩薩といい、世自在王仏のもとにおいて無上殊勝の四十八の願を建て、それに相応する行をかぎりなく長い間修め、願が成就して仏と成って阿弥陀仏と称した。本願は弥陀の本願として特殊のものである。しかしながらこの仏は単に自己のみが成仏することを志願したのではなく、弘く世とともに救われんことを誓ったのである。弥陀の本願はこの仏〔以下欠〕

五 社会的生活

浄土真宗における真俗二諦論は異説の多い教義である。いま親鸞の著作に出典を求めると『教行信証』化巻に『末法灯明記』から次のごとく引かれている。「それ一如に範衛してもて化をながすは法王、四海に光宅してもて風に乗ずるは仁王なり。しかればすなはち仁王法王たがひに顕はれて物を開し、真諦俗諦はたがひによりて教をひろむ。」法王すなわち大法の王と仁王すなわち仁徳のある帝王とは相対し、真諦と俗諦との区別に相応するものである。故に真諦は仏法を、俗諦は王法をいうのであり、王法は世法であり、故にまた世間の法が俗諦であり、出世間の法が真諦である。右の文は真諦俗諦相依の意義を顕わしたものと解される。

真諦俗諦の語がかくのごとく『教行信証』化巻において時代を勘決して正像末法の旨際を開示するにあたって、『末法灯明記』の文によって現われていることは、注目を要するであろう。すなわち真俗二諦の教義はその根源において末法思想に関係して、それ故に時代の自覚に従い、歴史的意識に基づいて理解さるべきものなのである。

すでに述べたごとく、末法時の特徴は無戒ということである。そこには道俗の本質的な区別はなくなる。賢愚、善悪、凡聖、老少、男女の区別も意義をなくする。それは聖道自力の教とは異なる絶対的な教が出現すべきことを意味している。この教は信心を根本とする教である。「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆへは罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆへに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへに」と『歎異鈔』にはいわれている。すなわち真理あるいは仏法、出世間の法は「信心為本」である。往生のためには他の善は要なく、念仏で足りるとすれば、すべての念仏者は、僧俗を分たず、貴賤貧富を論ぜず、平等でなければならぬ。末法時における無戒は諸善万行を廃してただ念仏のみが真実であるということの徴表である*。無戒ということは諸善万行の力を奪うものであり、そして積極的には念仏一行の絶対性、念仏の同一性、平等性を現わすものである。念仏はあらゆる人において同一であり平等である。念仏の行者はたがいに「御同朋御同行」である。かかる御同朋御同行主義は浄土真宗の本質的な特徴であり、そして、そこに信者の社会的生活における態度の根本がなければならぬ。かかる兄弟主義の根柢は全く「同一念仏無別道故」である**。しかも念仏がすべての人において平等であり、同一であるのは、この念仏が自力の念仏ではなくて他力の念仏であるがためである。もしも念仏が自力の念仏であるならば、各人の念仏に勝劣があり、平等ではないであろう。すべての念仏は弥陀廻向の念仏であるが故に、同一であるのである。そこにはもはや師弟の差別さえもあり得ないのである。「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」という。「専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論のさふらふらんこと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたずさふらふ。そのゆへはわがはからひにて、ひとに念仏をまうさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、ひとへに弥陀の御もよほしにあづかりて、念仏まうしさふらふひとを、わが弟子とまうすこと、きはめたる荒涼のことなり。」と『歎異鈔』は記している。同朋同行主義は念仏は弥陀廻向のものであるというところにその超越的根拠をもっている。そこには我はなくわが弟子もなく、ただ教法のみが人を尊厳ならしめるのであって、互いに「御同朋御同行」として相敬うのである。かかる同朋思想は、念仏の行者は同じ縁につながるものであるという意識によって深められるであろう。「ああ弘誓の強縁、多生にもまうあひがたく、真実の浄信、億劫にもえがたし、たまたま行信をえば、とほく宿縁をよろこべ。」と『教行信証』総序にはいわれている。弥陀の法を聞くということは重縁によるのであり、如来の方から我々に結ばれた強縁によるのである。たまたま信心を得たものはかかる宿縁をよろこぶべきであり、念仏の行者はかかる宿縁においてつながるものとして原始歴史的自覚において、同朋の意識を深めるのである。〔欄外「『たまたま』原始歴史」〕『大無量寿経』には、「法を聞きてよく忘れず、見て敬ひ得て大によろこばば、すなはち、わが善き親友なり。」と仏は述べている。

*「問ていはく、聖人の申す念仏と、在家のものの申す念仏と、勝劣いかむ。答へていはく、聖人の念仏と、世間者の念仏と、功徳ひとしくして、またまたかはりあるべからず。」と法然は書いている。

**曇鸞の『往生論註』下には「同一に念仏して別の道無きが故に、遠く通ずるに、それ四海のうちみな兄弟とするなり」と示されている。

ところで無戒という時代の特徴は、単に出世間の法のみではなく、同時に世間の法が重んじられねばならぬことを意味する。世間の生活から遊離することなくして仏法を行ずるということに無戒ということの積極的意義がある。浄土門の教が易行道であるということは、それが出世間の法として行ない易いことを意味するのみではなく、かえって生活と信仰とが分離することなく、生活が念仏であり、念仏が生活であるべきことを意味するのである。法然はいう。

「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。いはく、ひじりで申されずば、めをまうけて申すべし。妻をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家に居て申すべし。自力の衣食にて申されずば、他人にたすけられて申すべし。他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申すべし。一人して申されずば、同朋とともに申すべし。共同して申されずば、一人籠り居て申すべし。」

さて世間の法すなわち俗諦は、浄土真宗の宗乗学者によれば、「信心為本」に対して「王法為本」である。あるいは信心正因、称名報恩に対して、「王法為本」、「仁義為先」といわれている。この語は宗祖の法孫蓮如上人の『御文章』に、「ことにまづ王法をもて本とし、仁義をさきとして世間通途の儀に順じて」という言葉に出づるものである。同じく『御文章』には「ことにほかには王法をもておもてとし、内心には他方の信心をふかくたくはへて、世間の仁義をもて本とすべし。これすなはち当流にさだむるところのおきてのおもむきなりとこころうべきものなり。」といい、また「それ国にあらば守護方、ところにあらば地頭方にをひて、われは仏法をあがめ信心をえたる身なりといひて、疎略の儀ゆめゆめあるべからず。いよいよ公事をもはらにすべきものなり。かくのごとくこころえたる人をさして、信心発得して後生をねがう念仏行者のふるまひの本とぞいふべし。これすなはち仏法王法をむねとまもれる人となづくべきものなり。」といい、また『御一代記聞書』には「王法は額にあてよ、仏法は内心に深く蓄えよ」ともいっている。宗祖親鸞においてはかような定式は見出されない。『御消息集』には次のごとく書かれている。「念仏まふ(まう)さん人々は、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため、国民のために、念仏をまふしあはせたまひさふらはば、めでたふさふらふべし。往生を不定におぼしめさん人は、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏さふらふべし。わが御身の往生一定とおぼしめさん人は、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こころにいれてまふして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞおぼえさふらふ。」この言葉は普通に解釈されているごとく王法為本の思想を現わすものと見ることができるであろう。しからば仁義為先についてはいかがであるか。仁義の思想は言うまでもなく儒教に出づるものであって、わが国においても儒教の流伝とともに国民道徳の基本となったのである。しかるに『教行信証』化巻には『論語』が引用されている。『論語』は、幾多の書からの引用文から成っている観のある『教行信証』に引用されている唯一の外典である。このことは親鸞がいかに論語を重んじていたかを示すものであろう。したがって彼は世間の法については論語によるべきことを教えたと解することができる。

さて論語からとられた文は、「季路問、事鬼神。子曰。不能事。人焉能事鬼神。」であり、「季路とわく、鬼神につかえんかと。子のいわく、つかうることあたわず、人いずくんぞよく鬼神につかえんやと。」と読ませている。しかるに『論語』「先進篇」(第十一)ではこの文は「季路問事鬼神。子曰。未能事人。焉能事鬼。」であり、「季路、鬼神につかうるを問う。子いわく、いまだ人につかうることあたわず、いずくんぞよく鬼につかえん。」と読ませ、まだ人間に対してさえつかえることのできない者がどうして鬼神につかえることができようかという意味に解せられる。しかるに親鸞は後の「鬼」とあるのを「鬼神」とし、「未能」の二字を「不能」と改めた上、「未能事人。焉能事鬼。」を「不能事。人焉能事鬼神」と読みかえさせている。これによって、季路が鬼神につかうべきであるかと尋ねたのに対し、孔子は、つかえることができない、人間は鬼神以上のものであるから、人間より低い鬼神につかえ得るはずのものではないと答えた、と解するのである。この引用に先立って彼は種々の文を挙げて鬼神をおとしめているのである。彼は当時の仏教がこの世の吉凶禍福に心を迷わし、卜占祭祀を事とし、迷信邪教に陥っていることに対して鋭い批判を向けた。『愚禿悲歎述懐』には「五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」といい、また「かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬す」といっている。そこで親鸞は諸経典を根拠として真実の教と虚偽の教とを分別し決著して外教邪偽の異執を教誡する。『涅槃経』には「仏に帰依せん者はつゐにまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ」といい、『般舟三昧経』には「みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかふることをえざれ、天を拝することをえざれ、鬼神をまつることをえざれ、吉良日をみることをえざれ。」といって、仏教徒の帰依すべきはただ仏と法と僧との三宝であり、もっぱら仏道につかえて、天を拝したり、鬼神をまつったり、日の吉凶を卜したりするがごときことをしてはならぬと教えている。かかる迷信は仏教の否定するところである。念仏者は鬼神を畏れることを要しない。「念仏者は無礙の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障礙することなし。罪悪も業報も感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆへに、無礙の一道なりと云々」と『歎異鈔』には記されている。迷信は何によって生ずるのであるか。『華厳経』には「占相をはなれて、正見を修習せしめ、決定してふかく罪福の因縁を信ずべし。」とある。迷信の生ずるのは正見を欠き、罪福の因縁を信じない故である。罪福の因縁を信じない者は、自己の幸不幸を天や鬼神の星辰の力によるものと考え、かくして天を拝したり、鬼をまつったり、星を占ったりする。しかし彼らははたして真に超越的なものに帰依しているのであろうか。彼らが天や鬼神を畏れるのは自己のこの世における感性的な幸福を求めるためである。彼らは我愛、我慢のこころを離れず、我に執著している。『起信論』には「外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心をはなれず」といっている*。かくして迷信の根拠は我愛、我慢のこころであり、我を超越した天や鬼を拝している者は実は我を拝しているのである。それらの天神や鬼神が擬人的に表象されるのも当然である。

*『倶舎論』には、「衆人、所逼を怖れて多く諸仙の園苑、および叢林、孤樹、制多等に帰依す」とあるが、迷信の起原は我々の生の「所逼」、災害、無常等の生の窮迫を怖れて、現在の欲楽を求めるところから邪神淫祠が生ずるのである。

偶像崇拝や庶物崇拝は人間が人間以下の邪神や自然物の奴隷となることであり、全くの邪道である。かような邪道が盛んになるということも末法時の悲しさである。『首楞厳経』にいう、「わが滅度ののち、末法のなかに、この魔民おほからん、この鬼神おほからん、この妖邪おほからん。世間に熾盛にして、善知識と称して、もろもろの衆生をして愛見の坑におとさしめん。菩提の路を失し、眩惑無識にして、おそらくは心を失せしめん。所過のところに、その家耗散して、愛見の魔となりて、如来の種を失せん。」

ところで親鸞は拝天、祠鬼、占星等の迷信について論ずるに当り、特に『弁正論』を引いて、道家の思想を批判している。道家の思想は多く迷信を生ぜしめたからである。これに対して右の『論語』からの引用は鬼神につかえることの非なるを述べたものであり、親鸞が儒教のヒューマニズムを重んじたことが知られる。

仏教と外教とはどこまでも区別されねばならぬ。道家のごときは虚無恬淡を説いて一見仏教の根本思想と等しいようであるが、これに対して親鸞は『弁正論』を引いて批判を加えている。儒教の説くところは正しいにしても、「ただこれ世間の善」に過ぎない。仏教は絶対的である。この絶対的真理に対してその余の教はすべて邪教である。『涅槃経』には道に九十六種があって、ただ仏の一道のみが正道であり、他の九十五種はみな外道であると述べている。「九十五種みな世を汚す、ただ仏の一道のみひとり清閑なり」と善導はいっている。仏教とその他の教との価値の差別は絶対的である。我々はまずこのことを知らねばならぬ。仏教は絶対的真理であり、他の教の真理は相対的価値を有するに過ぎぬ。しかも、相対的真理はその相対的価値においていかに高まるにしても、またそのすべてを加え合せても絶対的真理となることはできない。

我々にとって何よりも必要なことはまずこの絶対的真理を把捉することである。しかもこれはただ超越によって捉えられることができる。信とはかくのごとき超越を意味している。相対的真理から絶対的真理へは非連続的である。これに反して絶対的真理から相対的真理へは連続的である。前者は後者の根拠としてこれを含むことができる。親鸞は信巻において『浄土論註』から次の文を引いている。「もし諸仏菩薩、世間出世間の善道を説きて、衆生を教化するひとましまさずば、あに仁義礼智信あることを知らんや。かくのごとき世間の一切善法みな断じ、出世間の一切賢聖みな滅しなん。」すなわち世間の法たる仁義礼智信の五常もまた仏道におさまるのである。仏法があるによって世間の道も出てくるのである。

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