日本的知性について (三木 清)

これから本誌に書くものは研究とか論文とかとしてでなく、筆者の感想として読んで戴きたいと思う。もちろん、それが単なる感想以上のものになり得たならば、筆者にとっても大きな仕合せであることは云うまでもない。しかし私はここで何事かを断定的に主張しようとするのでなく、むしろ仮設的なことについて述べてみようとするのである。断定的に書いていることも、必ずしも断定する意味でないと理解して戴きたい。もし私に何か一貫した積極的な主張があるとすれば、仮設的に考えることは意味のないことでなく、そしてそれは、特に我々日本人の場合、今後哲学をやってゆく上に、更に敢えて云うならば、文学をやってゆく上にも、大切なことであるという信念である。いったい東洋的といわれる思考の仕方と西洋的といわれる思考の仕方とを比較すると、──これも実はひとつの仮設であるのであるが、──東洋的な思考にはこの仮設的に考えるということが足りないのではないか。哲学においても、文学においても、そのことが感じられるのである。この点から云っても、東洋的な思考は具体的で、西洋的な思考は抽象的であると云い得るのであるが、この仮設的に考えるということが科学的精神なのである。私は西洋崇拝を勧説しようとするものでなくまた東洋的なリアリズムがもっている好いところを理解し得ないわけではない、併しともかく我々が我々自身の仕方でこの科学的精神をどのように形成してゆくことができるかを試みるということは、我々の文化の発展の為にぜひ必要なことであると信じている。日本を愛することと日本の伝統に固執することとは区別されねばならぬ。私は成長してゆくものとしての日本を愛するのである。

ところで私がここで述べることは、理論物理学者の仮設というよりも実験物理学者の実験におけるイデーのようなものでありたいと思う。如何なる実験家もただ無暗に実験するのでなく、つねに或るイデーをもって実験に臨むのである。このイデーは実験における仮設であり、一般的なものである。しかしこの仮設は或る特定の現象、或る特定の場合に関係して具体的な像として彼の頭に描かれているであろう。かように特殊的なものと一般的なものとが結び附いた形が描かれ、かくしてその特殊の現象或いは場合が典型的なものとして具体的に捉えられているというところに、もし理論家と実験家とを類型的に区別するならば、実験家の特色が存するであろう。しかし如何なる理論も、結局、実験に落付かねばならぬという意味において、理論家と実験家との区別は相対的である。実験とはイデーに基いて典型的な場合を構成することである。かように一般的なものと特殊的なものとを具体的に結合し、典型的なものを構成するということにおいて、実験家と小説家とは類似している。もちろん自然科学にあっては、そのような典型的なものが「場合」(ケイス)といわれる如くなお抽象的な意味のものであるに反し、文学にあってはそれが極めて具体的なものであるという差異がある。特殊的なものにおいて一般的なものを見、或いは一般的なものを特殊的なものにおいて具象化して見る能力は構想力と呼ばれているが、かような構想力が作家の能力であることは云うまでもなく、それは実験家にとって、また哲学者にとっても必要である。人間のあらゆる活動において構想力が如何に大切な意味を有するかについては、いずれ後に詳しく書いてみたいと思う。すでに述べたように、私は私の仮設が実験家のイデーのようなものであることを望んでいるわけであるが、実験そのものは多くの場合において読者の親切に依頼せねばならぬことになるであろう。そのうえ、抽象的な思考に慣れ過ぎた私は実験家の資格すら十分にもっていないかも知れない。しかし一般的な仮設を述べるとき、私はそれから演繹され得る特殊な場合についてできるだけ話したいと思う。もし私の語ることがほんとにイデーの意味をもたないで単なる思い附きに過ぎないようなことがあれば、私はただ読者に陳謝するのほかないのである。

この頃河上徹太郎氏などによって日本的知性というものが問題にされている。いったい、知性に日本的とか西洋的とかという区別があり得るか、という議論も成り立ち得る。知性は人間の能力のうちでも最も一般性を有するものであると考えられるであろう。しかしながら、身体から離れた精神がないように、知性といっても、知性そのものが一般にあるのでなく、あるのは或る特定の人間の知性、或る特定の民族の知性であると云うことができる。然るに、この人間といい、民族というものがまた歴史的なものであるとすれば、日本的知性といっても一般的に考えることができないように思われる。一般的に日本的知性といわれ得るようなものがあるかどうか、もしあるとすれば、それは如何なるものであるかというようなことは別問題として、今日我々が自分のうちに生き残っている伝統を顧みるとき、日本的知性に関係して最も重要な意味をもっているのは心境といわれるものである。心境については、これまで文学の問題としていろいろ論じられてきたが、それは固より単に文学にのみ関することでなく、日本的知性の問題であり、そして同時に日本的モラルの問題である。

心境と云うと、すぐに何か観念的なもの、主観的なものと考えられるが、単純にかく考えることは間違っている。多くの人がこれに反対して云うように、心境は或る極めてリアリスチックなものである。心境のリアリズムは何処から生ずるのであろうか。そしてそれが極めてリアリスチックなものであるに拘らず、しかもなお主観主義的なものと見られる理由は何処にあるのであろうか。

知性の機能は一般に技術と結び附いている。ベルグソンは人間は幾何学者として工人であると云ったが、ともかく知性と技術とが本質的に結び附いたものであることは、西洋的とか日本的とかの区別を離れて、定義的に云い得ることであると思う。ところで技術の本質は、主観と客観とを媒介的に統一するということに存している。技術の媒介を通じて、客観的なものは主観的になされ、主観的なものは客観的になされるのである。指物師の技術は木材という客観的なものを人間化し、人間に適合したものとなして机を作り、逆に人間の欲望や観念という主観的なものはこの机において客観化され、客観に適合したものとなされる。このように技術が主観と客観とを媒介的に統一するということは、西洋的知性に関わると日本的知性に関わるとを問わず、つねに認められることである。

ところで知性は科学的であり、そして科学は工芸と結び附くと考えられるように、技術における主観と客観との媒介的統一は客観の側において、言い換えると物において実現されるのが普通である。一般に技術といわれているものはこれである。しかしながら技術における主観と客観との媒介的統一が客観の側においてでなく、却って主観即ち人間の側において実現されるということも可能であろう。

そして心境とはこのように主観と客観との技術的な、媒介的な統一が人間の側において実現されることによって作られるものであると見ることができるであろう。西洋的知性が客観的であるに反して、日本的知性が主観的であるとせられる理由はそこにある。前者が物の技術に関わるとすれば、後者は心の技術に関わる。云うまでもなく、西洋的と日本的との区別はこの場合実験の目的をもって、ただ類型的に或いは典型的に考えられるのであって、日本においても物の技術が発達しなかったわけではないが、しかしこの国においては心の技術が西洋においてよりも勝れて発達し、その代りに物の技術の発達においては西洋に及ばなかったという差異があるのみである。心境にしてもし右の如きものであるとすれば、それが単に主観的なものでないことは明かであろう。それは技術的なものとしてどこまでも主観と客観とを媒介的に統一することによって作られるという意味をもっている。ただこの統一が主観即ち人間の側において実現されるものである限り西洋的な見方からすれば主観的であると云われるのであって、もちろんそれは他面客観的技術に匹敵するだけのリアリティをもっている人間そのものの側から見れば、西洋的人間がむしろ主観的であり東洋的人間が却って客観的であると云うことができるであろう。この場合、客観的ということが西洋的な、科学的な意味において云われるのでないことは固よりである。それは主観的なのであるが、単に主観的なのではなくて、主観と客観との統一が主観の側において実現されているという意味において主観的なのである。東洋的人間のかくの如き客観性は東洋的な「自然」の形而上学、我々の謂う東洋的自然主義によって形而上学的基礎を与えられている。この形而上学を離れて心境というものも考えられないであろう。

右に述べたことが定理であるとすれば、以下述べることはそれの系であり、或いは例題である。先ず心境が定理において云った通りのものであるとするならば、それが「人間修業」と云われるものと密接に関係することは明かであろう。心境とは技術的なものである。心境は技術的に作られてゆくものとして単に主観的なものでなく、却って客観的なものによって媒介されることが必要である。「苦労する」とはこのことである。苦労するということは日本人の知性とモラルとにとって特別の意味をもっている。その目的は環境を変化することにあるのでなく、むしろ人間を作ること、心境を形成することにある。苦労は外に向って働き掛けることでなくて、忍従することであるのもそのためである。それはどのような境遇の変化をもそのまま受け容れることができる心を作ることである。その技術は主観に従って物を砕いてゆくのとは反対に客観に従ってどこまでも心を砕いてゆくことにある。砕かれた心はどのような物をも自己と統一することができる。人間修業は日本的な智慧と倫理とであるのみでなく、心境文学と云われるものの基礎である。心境文学と人間修業とは不離の関係にあるのであって、心境文学の理念を放棄もしくは克服しようとする文学者が人間修業について語るのは無意味である。或いは逆に伝統的な人間修業のモラルを放棄もしくは克服するのでなければ、心境小説から客観小説に移ることもできぬと云い得るであろう。人間修業はどのような場合にも必要なことであるとしても、客観小説と心境小説との場合ではその内容が全く変ったものとならねばならぬであろう。芹沢光治良氏が次のように書いている。

「×さんがお茶に来た。×さんは三四ケ月前から日本に来ているフランス人である。林内閣の政綱の発表せられたのを簡単に翻訳して話した。×さんは今度の政変について大変面白い教訓を得たと云っていた。と云うのは日本の知人の誰も彼も、日本の政情についてよく知らないばかりか、どうしたらいいか意見を持っているものはなく、皆、上の方でうまくやってくれるものと信じ切って委せている。総理大臣がきまる、その人が持つ政策がどうであるか内容が解らなくても、その人が生命を惜しまず真剣でありさえすれば、それで信用する。実際、こうしたことが日本的と云うのであろうか、と数日前にアドバタイザーの社説で大体同じようなことを読んだ記憶があるが、外国人は同じような感想を持つのであろうか。×さんはそれから話を続けて、日本では文学でも、内容はとにかくとして、その作者が真剣であると、それが単にポーズだけでも、その作者の芸術まで信用される傾向はありませんかと質問していた。それは日本人の知性と関係はないかとも。味わうべき質問である」(『インテリゲンチャ』三月創刊号)。

この文章はまことによく西洋的知性と日本的知性との差異を述べていると思う。心境小説とは人間を信頼して書かれる文学である。人間修業によって心境が出来てしまうと、どんなに瑣末なことを書いてもよろしいことになる、その内容は西洋のロマンに云うようなロマン的であることを要しないのである。心境小説は人間に信頼して書かれるのであるから、その形式においても構成的であることを要しないことになる。心境は純粋に主観的なものでなく、すでに技術的に客観との統一が主観の側において出来上っている状態である故に、客観的にはどのように切れ切れのことでも、矛盾したことでも、すべてを自分のうちに呑み込み、主観的にはそこに何等の不統一も矛盾も感ぜられないのである。何でもそのまま呑むというのが日本的知性であり、それの恐るべき現実主義である。

西洋的知性は客観的なものに向い、物の技術は客観的な思想を要求し、この技術はまたその結果として人間から離れた客観的な思想を残すことができる。然るに日本的知性にとっては客観的な思想そのものはたいして問題でなく、問題はつねに人間である。しかしこの人間を単に主観的なものと考えてはならない。この人間そのものがすでに述べたような意味において客観的なのである。西洋的人間は主観的である故に客観的な思想に頼ることなしに生きてゆくことができない。日本的人間は客観的である故に思想は問題にならず、人間的に一致することができれば、思想を全く異にする者も完全に握手することができる。あらゆる思想を呑み得るということが日本的である。人間の生活は本質的に技術的であるが、西洋的知性と日本的知性とはその技術を実現する場所が違っている。心の技術は一般的な思想をそのものとして外に残すことなく、却って一般的な思想を人間化し、身体化することが日本的知性にとっては問題である。日本人が実際的であると云われるのも、東洋の学問は実学であると云われるのも、そのためである。それは所謂プラグマティズムの如きものでなく、むしろ日本の思想はいつでも身体的であるという意味である。西洋文化は物質的で、日本文化は精神的であると云われているが、その逆が一層真理に近いであろう。西洋的知性は身体から離れたものとなることができるに反して、日本的知性は身体から離れることができない。しかしまた、この身体のうちへはすでに知性が入っているという意味において身体そのものも精神的であり、これに反して西洋的人間においては身体は精神と対立しているという意味において彼等は精神的でないと考えることもできる。思想が身体化されることは個別化されることであり、日本的知性は完全になればなるほど、その人に即したものとなって一般性を失ってゆく。言い換えると、日本的知性は完成に達すれば達するほど随筆的になり、西洋的知性は構成的に体系的になってゆく。西洋の体系的な思想も日本へ来て、日本的知性に吸収されてゆくに従って、随筆的になってゆく傾向をもっている。日本的思想においては究極において「主義」といわれるようなものは作られず、またそれを必要ともしないのである。

さてかような日本的知性、心境と云われるものが社会的に見れば封建的性質を有すること、また特に鎖国下の日本において作られたものであるという特質を有することは指摘するまでもないであろう。これに対する批判はその特徴附けのうちにおのずから含まれているであろう。しかし右に述べたことが凡ての歴史的時代における日本的知性の本質であると考えることは避けねばならぬであろう。嘗て私がかかる自然主義に対してヒューマニズムとは抽象的なものに対する情熱であると云った意味もこの小論によって理解されたであろうと思う。

(一九三七年四月)

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