教養論 (三木 清)

この頃また教養論が流行している。教養という言葉が頻りに語られるのを聞くと、時代が再び大正期の、私どもの高等学校の時分に還ったかのように感じられるのである。尤も、この頃の教養論は少し以前に流行したヒューマニズム論の継続とも見られるであろう。教養を重んじるということはヒューマニズムの伝統である。あのヒューマニズム論において問題になったのは、ヒューマニズムの現代的意義を確定するためには、歴史的に多義の内容をもっているヒューマニズムというものを限定しなければならぬということであった。そこで今それが教養というものに限定されたと見る場合、果してそこにあのヒューマニズム論の発展を考えることができるであろうか。

教養の問題は先ず特殊的にインテリゲンチャに関わるものであるということによって特徴附けられる。従って教養論の流行はインテリゲンチャのインテリゲンチャとしての自覚を意味することになるであろう。しかるにそのことを逆に言うと、それは知識人の特殊的関心を現わすものであって彼等の社会的自覚を示すものではないということになるであろう。そこで進んで考えると、教養が教養として特別に関心されているということはインテリゲンチャの社会的政治的関心の後退したことの一つの徴候であるということができるであろう。インテリゲンチャが社会的政治的関心を失い、大衆から離れて自己自身にまで退却したとき、そこに自己の特殊な問題として見出されるものが教養である。あのヒューマニズム論は、仮に一部の者の批評する如くインテリゲンチャ的な思想であるとしても、なお社会的政治的関心から游離していなかった。しかるにこの頃の教養論はもはやそうではないように思われる。

もちろん教養という言葉は形式的にはあらゆることを意味し得るであろう。そのうちには社会的教養も政治的教養も考えられる。しかしながら我々は教養という言葉の負うている歴史的含蓄を無視することができない。すべて言葉は、単にその概念的内容に従って把握されるのでなく、またそこにつねに附随している感情的価値に従って理解される。とりわけ或る言葉が合言葉となり、標語となるためには、その言葉の感情的価値が強く働くものである。例えば、祖国とか革命とかいう言葉の具体的な意味は、その感情的或いは気分的価値を除いては理解されないであろう。そのように教養という言葉も感情的価値を伴っているが、このものはそれの負うている歴史的含蓄と結び附いている。嘗て大正時代に教養という言葉が流行したとき、同時に合言葉となったのは、文化という他の一つの言葉であった。しかもその場合、文化は文明というものと区別されたのみでなく、また特に政治と対立させられた。例えば、当時、歴史学の理念として、政治史か文化史かということが問題になり、そして政治史を却けて文化史を採るというのが新しい傾向であったことを私は想起するのである。教養といってもどのような教養でもが教養と考えられたのでなく、文明的なもの即ち技術や科学に関するものは貶せられ、目標とされたのは主として精神的文化、特に哲学と芸術であり、その際政治に関することがらはむしろ意識的に排除されたのである。このことを更に系譜を溯って考えると、このような文化とか教養とかの理念は特にドイツ的なものであり、そしてこのドイツ的理念は啓蒙思想の克服と称する立場と密接に関連している。啓蒙思想というのは十七八世紀の、イギリスやフランスにおいて栄えた近代的思想であるが、それはこれらの国において本質的に政治的性格をもっていた。啓蒙は何よりも政治的啓蒙を意味し、すべての啓蒙は政治的目的に仕うべきものであった。このような啓蒙に対する教養は、政治に対する文化と根本的につながっていた。そこで教養という言葉がその歴史的含蓄において、従ってまたその感情的価値において、政治的啓蒙或いは政治的教養に対しておのずから反撥するものを有することは明かであろう。今日インテリゲンチャの政治的関心の衰弱が語られている場合、教養という言葉が一つの流行語として現われてきたのも偶然でないように思われる。

尤も、教養の観念はそれ自身のうちに普遍性への傾向を含んでいる。教養は本質的に普遍的教養を意味している。すでにルネサンスのヒューマニズムにおいて教養はそのように普遍的教養を意味したし、また第二のヒューマニズムと呼ばれるあのドイツのヒューマニズムにおいても同じように教養は普遍的教養を意味した。それだから今日教養という場合にも、そのうちには当然、政治的教養や科学的教養も含まれるといわれるであろう。しかしながら現実において、誰でもがリオナルド・ダ・ヴィンチやゲーテ、或いはフンボルトの如き人間であり得るものではない。普遍的教養といっても、実際には制限されざるを得ないであろう。また普遍的教養といっても、そこに一定の方向、一定の指導的理念がなければならない。教養において重要なのはその方向或いはその指導的理念である。ルネサンスのヒューマニズムも、ドイツのヒューマニズムも、たしかに指導的理念をもっていた。しかるにこの頃の教養論には果して何か一定の指導的理念があるであろうか。むしろかかるものがなくて、無限定無方向であるのがこの頃の教養というものではないであろうか。それは、「学生はもっと勉強しなければならない」とか、「青年はもっと本を読まなければならない」とかいう、学校教師風の教訓をただ言い換えたに過ぎないようにさえ見える。このような教訓はもちろん有益であり、必要でもある。しかしながら教養という以上、その根柢には以前のヒューマニズムにおいてのように一定の世界観が、一定の文化の理念と一定の人間の理想が存しなければならない筈である。今日の教養論は果して何等かの新しい文化の理念、新しい人間の理想を提示しているであろうか。その点、むしろ嘗ての日本における教養論時代の思想を無批判にそのまま踏襲しているに過ぎないように思われる。あの教養論時代以後、青年たちを絶えず苦しめてきたもの、彼等の冒険と悲劇の原因となってきたものは、実にこの新しい文化の理念、新しい人間の理想が何であるかという問題であったのであって、勉強しなければならぬとか、本を読まなければならぬとかいう単純な問題ではなかった筈である。そして彼等の冒険と悲劇の原因はまた実にかような新しい文化の理念、新しい人間の理想がつねに政治的なものと結び附いていたところにある。しかるにこの頃の教養論は、その最も困難な問題を避けるために、かような政治的なものを振い落すことに努めていると見ることができるであろう。

今日の青年・学生の教養が劣っているということも決して簡単には言えないことである。教養の普遍性という点から考えると、彼等は却って私どもの時代よりも遥かに進んでいるとさえ言うことができる。問題はむしろ、彼等が何でも知っていながら結局何も知っていないということにある。彼等は多くのことを知ってはいるが、なに一つ深く知っていず、多くの知識も彼等においては統一をもっていない。即ち問題は、彼等の教養に方向がなく指導的理念が欠けているということである。従って求められている教養論は何よりも教養に方向と指導的理念を与えるものでなければならぬ。さもないと、「教養論」そのものが単に彼等の多くの知識のうちの一つとなるだけで、何等実際的な効果を生じない惧れがある。そしてまた事実、今日その危険が現われていないとはいえないであろう。青年・学生が勉強せず、本を読まないということがあるとすれば、それは彼等が元来何のために、何を根本的に勉強すべきかということについて不信になり、懐疑的になっているからにほかならない。この頃の教養論は果してこの問題に対して明瞭な解答を与えているであろうか。

教養論は特殊的にインテリゲンチャ的な問題であることによってインテリゲンチャに媚びることができる。殊にインテリゲンチャの社会的地位について、その政治的意義について、これを過少に評価する説が出た後において、また現在の政治的情勢が愈々インテリゲンチャの無力を証しつつあると思われるとき、教養論は一見インテリゲンチャの特殊的意義を十分に示し得るように見えるところから、インテリゲンチャに媚びることができるであろう。なるほどインテリゲンチャは教養によってインテリゲンチャである。教養のないインテリゲンチャはいわば定義的にインテリゲンチャに矛盾する。しかもこの頃の教養論は、その要求するインテリゲンチャの教養を再び社会的に評価することをしないのがつねである故に、そこではインテリゲンチャは自己の特殊的もしくは特権的地位に容易に安んじることができるであろう。かようにして教養論はインテリゲンチャを自己満足に陥らせ易い傾向をもっている。

更に教養は、その根柢に一定の文化の理念と人間の理想をもたない場合、単なる博識或いは趣味となる。博識は博識としてインテリゲンチャに媚び得る性質をもっている。そのうえ博識の結果はおのずから歴史的相対主義となるであろう。ところでこの相対主義は現在のインテリゲンチャの多くが陥っているといわれる懐疑的気分と共感することができる。懐疑的気分は歴史的相対主義においていわば一種の展望を与えられ、そして博識によって箔をつけられる、教養はかくの如きものとなり得るのである。また教養は趣味となり得るばかりでなく、特に我が国においては趣味人ともいうべき人間の観念が教養の観念の基礎であるといえるであろう。この趣味人という観念は日本における伝統的な人間の観念のうち有力なものであり、江戸文化の中において完成されたものである。教養は趣味として快く、現実からの逃避の場所として適するのみでなく、かかる教養は我が国においては特に趣味人という伝統的な人間の観念によって一種の人生観的基礎を与えられるという強味をもっている。博識な趣味人と結び附く文化として存在するのは随筆である。そこで我が国における教養人は同時に随筆人であるという特色をもっている。教養の観念と随筆の観念とは結び附いている。かような事情が見出される点から考えて、この頃唱えられている教養というものも、すでに数年前から、インテリゲンチャの政治的関心の後退と共に著しく現われてきたところの、随筆を愛好する趣味に落ち着いてゆくのではないかと思われるのである。教養論の危険はここにも存在している。

或いはいうであろう、今日の青年・学生に欠けているのは古典の教養である、と。かように考えると、教養論は一定の方向をもつことができるように見える。たしかに、今日の青年・学生には古典の教養が乏しいということができるであろう。古典を読む必要はどれほど繰返していわれても宜い。古典というのはただ古い書物のことでなく、つねに新たな生命に蘇り得る書物のことである。しかしながら同時に注意すべきことは、自分の目標を失った青年には、すでに古典といっても多数に存在する以上、何を自分の古典として学ぶべきであるかが分らないのである。古典も現在の生きた問題をもってこれに対するのでなければ真に蘇ることができぬ。従ってもし現在の問題そのものについて不決定で、懐疑的であるとしたら、如何であろう。古典を真に活かし得るものは現代の創造的精神であるが、その創造的精神の何であるかを捉えていないとしたら、如何であろう。かような場合、古典を読むということは美しい過去へ遁れることにほかならず、そしてそれはまた既に述べた博識と趣味以外のものとはなり得ないのである。古典論者も現代の課題について明瞭な指示を与え、現代文化の指導的理念を明確に呈示するところがなければならぬ。

他の者はいうであろう、今日の日本のインテリゲンチャの教養はあまりに西洋的である、この行き過ぎに対して日本の伝統的文化に関する教養を積むことによって平衡をはかることが必要である、と。この平衡論は恐らく最近の教養論において持ち出された唯一の理論であろう。しかしながらそれにも我々の遽に賛同し難いものがある。たしかに、今日のインテリゲンチャにとって教養のおもな源泉となっているのは西洋文化であるということができるであろう。けれどもそのことは先ず、我々の血肉の中に日本的伝統的なものが存在しないということにはならない。むしろ実際は、頭脳においては西洋的になりながら、血肉の中には日本的なもの、しかも封建的日本的なものが、もしこういっても差支ないなら、あまりに多いのに苦んでいる場合が尠くないのである。たとえば我が国の自然主義文学は、頭脳的には西洋的であったにしても、血肉的には過剰といい得るほどの日本的伝統的なものを残していたと見られるであろう。それ故に我々の問題は、如何にして速かにかような封建的なものから脱却して、新しい日本的なもの、もしこう言い換えることが望ましいなら、真に日本的なものに達することができるかということである。そのためには更に激しく西洋的な文化即ち近代的世界的な文化と対質することが要求されるであろう。次に日本的なものといっても、真の教養の立場においてはそのすべてのものを身につけねばならぬわけではない。真の教養にとってはその内容、その文化の質が問題である。たとえば江戸時代の町人は、今日普通のインテリゲンチャよりも教養が高かったといわれる。けれども彼等の教養の内容の性質を問題にするとき、それが我々の教養の模範となり得るものであるかどうか、甚だ疑問であろう。ここでも問題は、教養の観念の根柢となるべき文化の理念並びに人間の理想である。第三に、平衡論そのものがいわば特殊的に「教養論的な」理論であって、文化の生産の原理とはなり得ない。文化の生産の立場からいうと、まだしも、東西文化の融合とか統一とかいう理念を掲げることが一層積極的であろう。平衡論は、これを現在のファッシズム的文化論の流行という客観的情勢の中で見ると、自由主義者の妥協的な、消極的な思想に過ぎないと考えることができるであろう。いずれにしても、それは文化の生産の立場を現わし得るものでなく、そしてかくの如く教養論というものは知らず識らず文化に関して消費的な立場に立っていることが多いのである。これに対して教養の問題は文化の生産の立場から考えられねばならぬことを強調すべきであろう。そしてその場合、教養論はもはや単なる教養論にとどまり得るものでなく、現代において要求される文化の新しい理念、また人間の新しい理想が何であるかについて答うべき義務をもっているであろう。今日、教養の問題が混乱し、かくして教養そのものが危くされているかのように感じられるのも、実にこの点に懸っているのである。

更にひとは言うであろう、今日の日本の文化における大きな欠陥は、各文化領域が孤立していて、そこに相互理解、相互作用がないところにある、教養はその本来の普遍性への要求にもとづいてかくの如き相互理解や相互作用を可能にするものとして大切である、と。この見方はたしかに重要な点に触れている。それぞれの文化の領域の間に、たとえば文学と哲学との間に、或いはまた哲学と政治学との間に、相互作用が行われるということは、それぞれの領域の文化の発達にとって肝要なことである。しかるにおよそ二つのものの間に相互作用が行われるためには、両者の根柢に或る第三のものがなければならない。この第三のものがはじめて両者の相互作用を可能にするのであり、またそのものが普遍的な教養に統一を与えるのである。統一のない教養は真の教養とはいわれず、単なる博識に過ぎないであろう。かようにして文化についての統一的な理念をもつことなしには真の教養は不可能である。

言うまでもなく、我々は教養というもの自体を決して軽蔑しようとするものではない。誰も教養そのものを排斥すべき理由をもたないであろう。我々が注意しようとしたのは、教養の観念はつねにその根柢に或る一定の文化の理念並びに人間の理想を予想するということであった。かような前提的理念乃至理想は、社会の安定期においては動揺することなく、いわば自明のものとして暗黙の間に一般的承認を得ている故に、この場合には、教養論はかような前提をことさら問題にすることを要せず、教養を単に教養として抽象的に論ずることも可能である。しかるに現代社会においてのように人間の観念、文化の理想が混乱している時代においては、いかなる教養論もこの前提的問題を無視することができず、先ずそれを吟味して掛らなければならない。この問題について考えることは時代と社会とについて考えることである。ところがこの頃の教養論は、教養をただ教養として抽象的に取上げることによって、かような根本問題をことさら回避する傾向がありはしないかと思われるのである。尤も、新しい文化の理想や新しい人間の観念について考えるためには、すでに教養が必要ではないか、という反駁も生じ得る。この反駁は一面の真理を含んでいる。過去の伝統に学ばないで創造することはできない。しかしながら新しいものの創造には教養が却って障碍になり得ることもあるということを忘れてはならない。とりわけ教養は行動にとって妨害となり得るものである。教養が博識や趣味に終る場合、かくの如き弊害を伴い易いのであって、教養そのものがむしろ生産と行動の立場から考えられることが大切である。教養はニーチェのいわゆる「教養ある俗物」を作り出し得るものである。今日のインテリゲンチャにおいて教養の乏しいことを歎く者は同時に教養ある俗物の尠くないことを憂うべきであろう。

教養論と雖も抽象的に見らるべきでなく、それが現われた歴史的状況の中において評価されなければならない。かくて今日の教養論が如何なる現実的意義をもっているかについては、すでに述べた。そこで我々はかかる教養論の危険性に対して次の如き反省を加えなければならぬであろう。

一、教養という言葉は我々にとって大切な理論的意識を蔽い隠し易い。今日のインテリゲンチャにおいて失われつつあるのはこの理論的意識であり、それが彼等の真実の教養の貧困と見らるべきものである。或いは進んで考えると、現在、理論を喪失し、また理論を追求することを諦めたインテリゲンチャがそこに安心を求めようとしている場所があの教養である。理論的意識はこの場合科学的精神と言い換えても宜いであろうし、或いは良識と言い換えても宜いであろう。いずれも批判的ということを本質とするに反し、教養は批判的でなければないほど一層教養的に見えることができる。

二、教養について特に現代との関係において大切であるのは政治的教養である。教養という言葉が文化的教養を指して政治的教養を問わないとすれば、我々はこれに対して啓蒙という言葉を置き換えなければならぬ。啓蒙は何よりも先ず政治的啓蒙である。教養論をもってインテリゲンチャは政治的関心の後退と共に大衆への関心を離れて自己に特殊的な見地に立ち戻ったものとすれば、啓蒙は彼等が大衆の中で大衆との関係において自己の特殊性を見出す立場に立つものである。インテリゲンチャであって教養のないものはインテリゲンチャといい得ず、従って彼等が自己に立ち還って教養を求めるということは当然である。啓蒙も先ず自己自身についての啓蒙から始めなければならぬ。しかしインテリゲンチャは自己の教養を社会的に評価し、大衆に対する啓蒙に従事すべきであろう。教養は自己を目的とするところに強い反省をもっているが、同時に非社会的になる危険をもっている。教養の立場は先ず自分があってのち社会があると考える個人主義的見方を知らず識らず前提している。

三、教養は単なる知識の問題ではない。ドイツのヒューマニズムがすでに力説したように、ビルドゥングは同時に人間形成の意味をもたなければならぬ。しかるに人間はただ社会の中においてのみ形成される。ビルドゥングは人間形成という根本的な意味において、単なる趣味や博識であり得ないことはもちろん、一般に単なる観想であり得ず、行為的でなければならない。人間は歴史から作られると共に歴史を作ってゆく。かかる過程において人間自身は形成されてゆくのである。人間形成の根本的な意味において、教養を単にインテリゲンチャに特殊的なものと考えることから解放されねばならぬ。

(一九三七年四月)

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