哲学入門 (三木 清)

形は一方或る実体的なものである。形は単なる形式ではなく、内容を内から生かすものであってしかもどこまでも外のものである。形は物をその固有性において現わすのである。しかしながら形は他方或る関係的なもの、函数的なもの、機能的なものである。形は主体と環境との作用的聯関から作られてくるものとして技術的な意味をもち、機能を組織したもの、機能を表現するものである。形は働くものでなければならぬ。形は時間的に変化してゆくものであるが、単に時間的なものは形とはならず、形はまた空間的に固定したものである。それは時間的であると同時に空間的であり、生成と存在との統一である。かようなものとしてそれは歴史的なものである。一言でいうと、形は実体的であると共に関係的であり、形概念は実体概念と関係概念との統一である。

歴史的なものの認識は形の認識であるとすれば、認識が形成であることはこの場合特に明瞭であろう。形成という言葉はもと形に関係している。歴史は記述であるといわれるのも、形は究極において記述されるのほかないためである。自然科学のうちにおいても生命を取扱う生物学の如きが純粋な説明科学とならないで記述的であるのも、すべて生命あるものは形の統一をもっているのに依るであろう。説明と記述との相違は根本において関係概念と形概念との相違であるということもできる。形は全体性であり、創造的綜合として形成されるのである。形は環境と主体との作用的聯関から作られてくるのであって、環境的に限定されると共に主体的に限定され、一般的なものと特殊的なものとの統一である。従ってそれを分析的に見て、一般的限定の方向において捉えるならば、歴史的なものも説明されることができる。歴史学が単に記述的でなく説明的であろうとするのは当然である。しかし歴史的なものは、それをどこまでも一般的なものから説明してゆけばもはや歴史的なものでなくならねばならぬ。そのとき主体はただ環境から規定されたものとなり、主体の意味を失ってしまう。主体にはどこまでも自己が自己を限定するという自律的なところがなければならぬ。歴史的なものの支点はつねに形である。形は単に客観的に捉えられ得るものでなく、却って形は主観的なものと客観的なものとの統一である。歴史的認識は純粋に客観的であることができず、主体的認識でなければならぬ。歴史は内から主体的に認識される、従ってそこでは知性のみでなく情意の協同が必要である。型といっても形式論理における類概念の如きものでなく、類概念が客観的に構成されるものであるに反して、型は主体的に形成されるものである。自然科学の方法が説明であるに対して歴史学の方法が理解であるといわれるのも、同じ関係においてである。歴史的なものは表現的なものであり、表現的なものにおいては主観的なものと客観的なものとが、内部と外部とが一つである。それを認識する方法が理解であり、理解の方法の学問的に組織されたものが解釈学と称せられている。解釈は、外から内を理解することであると共に内から外を理解することであり、一般的なものから特殊的なものを理解することであると共に特殊的なものから一般的なものを理解することである。ディルタイが解釈学におけるアポリア(難問)といったかような関係は、単なる循環でなく、理解というものが弁証法的に対立するものの間における形成作用でなければならぬことを示している。理解そのものがひとつの形成的創造である。歴史的認識は主観的・客観的な作用として形成作用でなければならぬ。歴史は記述であるといっても、単なる模写でなく、構成的なところを含んでいる。もっとも理解とか記述とかということは多くの場合観想の立場に止まっている。しかるに歴史はもと行為の立場から把握さるべきものである。歴史のうちに一般的なもの、法則的なものを求めるということも、行為の立場において要求されることである。自然を変化するには自然の法則を知らねばならぬように、社会を形成してゆくにも法則の認識が必要である。歴史の認識は形の認識であるといっても、歴史学、或いは文化科学、或いは精神科学、或いは社会科学と呼ばれるものが、一般的なもの、法則的なものを認識しようとすること、理論的であろうとすることを否定するのでなく、むしろ反対である。そこにも理論がなければならぬ。社会科学において歴史と理論とは区別されている。しかも歴史的な形は一般的なものと特殊的なものとの統一であるとすれば、歴史の認識が芸術とは違って科学的概念的である限り、歴史的な概念構成にとっても、一般的なもの、理論的なものは欠くことのできぬ基礎である。社会科学は歴史・理論・政策の三部から成るといわれるが、政策は特に明瞭に行為の立場を現わしている。政策においては一般的なものと特殊的なものとの統一が求められ、この統一は究極は形において与えられる。歴史・理論・政策は形概念において統一され、形から出て形に還ると考えることができるであろう。現実の行為にとっては形の構想が必要である。理論をそのまま行おうとするのは抽象的な公式主義であり、真の実践家は理論の一般性と現実の特殊性とを形において構想的に統一するものでなければならぬ。歴史記述において古くから型的な人間、型的な文化が絶えず目標とされたということも、多くの場合実践的な関心に基いている。ひとは過去の歴史のうちに現在の行為のための型を求めた、型は行為の模範的な形と考えられたのである。

形というものは、従来の哲学においては殆どつねに観想の立場から見られた。それが特に芸術に関係して理解されたのも、そのためである。しかし形に対する我々の関心は芸術的な関心に限られないであろう。天才とか英雄とか指導者とかと呼ばれる典型的人物、そのほか一般に歴史における典型的事実に対して人々がつねに深い興味を懐くということは、行為の形に対する彼等の実践的な関心を示すものである。形概念の見方は芸術主義と混同されてはならぬ。それはむしろ芸術をも、従来の哲学においての如く単に鑑賞或いは享受の立場から見るのでなく、形成作用の一つとして、広く行為の立場から捉えることを要求するのである。次にこれと関聯して、形概念の見方は単なる直観主義であるのではない。芸術の如きにしても単なる直観からは作られないであろう。芸術もまた技術である。すべて物を作るには知識が必要である。行為的直観は概念的知識に媒介されたものでなければならぬ。単に見るのでなく作るという立場に立つならば、一般的なもの、法則的なものの認識は形成作用にとって欠くことのできぬものである。結果は直接的なものであるとヘーゲルはいったが、直接的なものは媒介を経て出てきた結果である。

かようにして形概念は何よりも技術に定位をとるのである。技術にとっては先ず客観的な法則の認識が要求されている。科学は技術の基礎である。自然の法則に反して人間は何物も作ることができぬ。しかし自然の法則はつねに働いているにしても、この机、この椅子の如きものは森の中から出てきはしないであろう。技術があるためには自然の法則に人間の目的が加わらねばならず、技術はこの主観的なものと客観的なものとの統一を求めるのである。しかし主観的なものと客観的なものとの統一がただ頭の中で考えられるだけでは技術とはいわれず、技術はこの統一を行為的に実現するのである。技術は物を変化し、物を作る、技術は生産的である。技術によって作られたものはすべて形を有し、形は主観的なものと客観的なものとの統一を現わしている。あたかもそのように、あらゆる歴史的なものは主観的・客観的なものであり、形のあるものである。それは技術的に形成されたものである。文化も技術的に作られ、社会の制度や組織の如きも技術的に作られる。すべて歴史的なものは技術的に形成されたものとして、環境的に限定されると共に主体的に限定され、主観的であると同時に客観的なもの、一般的であると同時に特殊的なものである。歴史的認識は究極において形を目的とするところから、すぐれた意味において形成作用であるといい得るが、飽くまでも客観的であることを期する自然科学的認識でさえもが、右に述べたように主観的・客観的な形成作用と見られ得るというのは、元来それをも歴史的なものとして捉えるからでなければならぬ。自然も環境の意味においては単なる客観としての自然でなく、すでに歴史的なもの、表現的なものであり、自然の認識も、それを環境として生活する歴史的人間の行為として始まるのである。自然科学における主観も操作的であり、行為に媒介されるのでなければ、その求める客観性に達することもできない。また自然科学における法則も個々の事実から発見されるのであって、特殊的なものに媒介されるのでなければ、その求める一般性に達することもできぬ。しかし自然科学が客観的な一般的な法則を求めてゆくに対して、それを基礎とする技術に至って再び現実的に形に結び付くのである。技術によって生産されたものは主体から独立なものとなり、我々の生活にとって新しい環境となるのである。

ところで右の論述によっておのずから明かになったことは、存在論、認識論、論理学の統一である。アリストテレス的論理は形式論理といわれているが、それはもと単に形式的であったのでなく、形相を実在と見るギリシア的存在論と密接に結び付き、そしてそれは認識論においては模写説的立場に立っている。形相とは物の形をいい、イデアとかエイドスとかという言葉で表わされた。個々の人間は生れては死ぬる、けれども人間の形相は一にして同一であり、つねに変ることなく、すべての人間は人間である限りこれを具えている。形は物の本質、真の存在と考えられた。かようなものについては形式論理における矛盾律ないし自同律は単に形式的でない実質的な意味をもっているであろう。アリストテレスは矛盾律の定式において、それ自身としてそれ自身において限定され、両義性を排する、物における不可分の点に達しようとしたのであって、物におけるかような不可分の点とは物におけるイデア的なもの、形相にほかならぬ。また形式論理における推理、いわゆる三段論法において最も重要な位置を占めるのは中概念であり、推理においては中概念が自己同一に止まることが原則的に要求されている。かような中概念となるのは、アリストテレスに依ると、本質或いは形相である。「本質が三段論法の原理である」、と彼はいっている。しかるにカントの先験論理は、その認識論における構成説と密接につながり、その場合に考えられた存在は客観としての自然、法則的な自然である。カントはニュートンの物理学をモデルとしてその認識論を建てたといわれている。先験論理は形式的な論理でなく、「対象の論理」である。それは対象を構成することによって対象を認識するという立場に立っている。形式論理は与えられたものを分析してそのうちに含まれる本質を抽象してくる分析論理であるに対して、先験論理の根本概念は先験的綜合である。ギリシア哲学においては真の主観は発見されなかった。それを発見したのはカントの功績である。しかしカントの主観は世界に対してその外にある。歴史の世界においては主観がその中に入っていなければならぬ。物質的過程といわれる経済的生産においても人間がその中に入っている。弁証法はヘーゲルのいう如く「内容の論理」であるが、その内容というものの中には主体が入っており、弁証法は元来主体と客体との間に成立し、或いはむしろ主観的・客観的なものの論理である。歴史的世界において真に客観的なものは単に客観的なものでなく、却って主観的・客観的なものである。

いま我々のいう形成説は存在を歴史的なものと見ることと結び付いている。歴史的世界の論理はヘーゲルが洞察したように弁証法である。アリストテレス的論理は形の論理であったが、弁証法も或る意味において形の論理であるということができる。しかしそれは先験論理の媒介を経た形の論理である。アリストテレスにおいて形は変化しないものと考えられたに反して、ここでは形も変化するもの、歴史的なものとして捉えられる。ギリシア的に見て、人間が生れたり死んだりしても人間の形相は生ずることも滅することもなく、永遠に自己同一に止まるとすれば、形相は現実の人間から抽象して考えられることができるであろう。しかるに歴史的に見ると、一人の人間と共にその人間の形は滅んで新しい形が生れ、一個の社会と共にその社会の形は滅んで新しい形に代られる。ギリシアにおいて生物の種は不変と考えられたのに対して近代の進化論は種の変化を説くように、形は歴史的なものとして変化し発展するものである。アリストテレスが運動を通じてつねに自己同一に止まるものを捉えようとしたに反して、弁証法は歴史の運動を形の変化として捉えるのである。弁証法は運動の論理である。運動は矛盾があるによって起る。「同一のものが同時にあり且つあらぬことは不可能である」というのがアリストテレスに依る矛盾律の表現であるが、この矛盾律は運動に適用されることができぬ、なぜなら物が運動するとは同一の点に同時にあり且つあらぬということであるから。物は、それが此の今には此処にありそして他の今には彼処にあるということによってでなく、却ってそれが同一の今において此処に且つ此処にでなくあるということによって、それが此の此処において同時にあり且つないということによって、運動するのである。「矛盾は一切の運動及び生命性の根源である。物は自己自身のうちに矛盾を有する限りにおいてのみ、運動し、衝動と活動を有する」、とヘーゲルはいっている。矛盾を容れぬ形式論理に対して、矛盾こそ物の生命的なものであるというのが弁証法の根本思想である。矛盾し対立するものは相互に否定することによって相互に媒介する。弁証法は否定による媒介の論理である。しかしながら弁証法を単に媒介の論理と考えるとき、それは反省の論理に止まって行為の論理とはならないであろう。行為は一方どこまでも媒介的であると共に他方どこまでも直接的なもの、直観的なものである。直接的なものが媒介的であり、媒介的なものが直接的であるというところに、行為があり、真の弁証法がある。弁証法は反省の論理でなく、現実の世界そのものの論理である。もっとも、我々の行為にとっても反省が必要である限り、ヘーゲルが抽象的な「悟性の論理」として軽蔑した形式論理も重要な意味をもっている。また我々の行為は客観的なものに関係付けられている以上、抽象的といわれる一般的法則の認識もそれにとって大切である。抽象的なものを軽蔑することは却って非弁証法的であるといわねばならぬ。弁証法は対立するものが一つのものであることを主張する。しかしながらこの同一性は形式論理の自同律にいう同一性とは異り、矛盾するものが止揚されて一つに綜合されるところに成立する。止揚という弁証法の言葉は、先ず無くされること、次に高められること、そして保たれることを意味している。矛盾するものは否定され、同時により高いもののうちに綜合されて保存されるのである。そこには否定の否定がある。しかも対立するものが一つであるということは、媒介的なものが直接的であり直接的なものが媒介的であるというところに成立するのである。また弁証法は矛盾の綜合における発展の論理であるが、この場合発展の意味は正しく理解されねばならぬ。普通に発展というと、自己のうちに含まれていたものが顕わになってくること、自己の内在的な本質が顕現的になってくることと理解されている。しかるにこの含蓄より顕現へという過程は、可能性より現実性への過程としてまさにアリストテレスがその論理によって捉えようとしたものであって、そこには何等矛盾というものはなく、従って弁証法はない。自己の実現するものは元来自己が可能的にあったものと同一であるから。アリストテレスにとって運動は可能性より現実性への過程を意味した。弁証法は単にかくの如き内在的な連続的な発展であることができない。そこには自己に内在的なものが同時に超越的なものであるということ、また超越的なものが同時に自己に内在的なものであるということがなければならぬ。自己から起る行為が自己に超越的な自己の存在の根拠である世界から起るものであり、行為は同時に出来事であるのでなければならぬ。人間の作るものが同時に人間を超えた意味をもっているのでなければならぬ。自己の本質として自己のうちにあると考えられる理性或いはロゴスが単に自己のうちにあるものでなく、却って物のうちに、客観的表現的なもののうちにあるものであり、このものにび起されて行為することが真に自己の内から行為することであるというのでなければならぬ。かようにして内在が超越であり超越が内在であるというところに弁証法はある。行為が同時に出来事であるということが歴史的ということであって、弁証法はかような歴史の論理である。

五 知識の相対性と絶対性

知識は普遍性と必然性即ち普遍妥当性をもつものでなければならぬ。さもないと真理とはいわれない。真理は普遍妥当的なものとして絶対的なものである。しかるに事実を見ると、かくの如き絶対的真理はむしろ存在しないのであって、甲が真理として主張することも乙は真理として承認せず、甲自身においても昨日真理と考えたことを必ずしも今日真理と考えるわけではない。かようにして事実としては普遍妥当的な絶対的真理の存在は疑わしく、むしろ否定されねばならぬであろう。そこでカントは事実の問題と権利の問題を区別する批判的方法によって、知識の性質を論理的に明かにしようとしたのである。この論理主義は、知識を心理的事実として見てゆく心理主義に反対する。心理主義によっては知識の本質、その普遍妥当性、その真理性を明かにすることができぬ。もっとも、論理主義は知識の普遍妥当性をただ形式的に明かにするのみであって、抽象的であるといわれるであろう。しかしながら知識の普遍妥当性に対する要求は我々の先験的な自覚に属するのであり、この自覚なしにはいかなる真理探求もあり得ないであろう。

それにしても、事実としては、絶対的真理は存在しないようである。人により、処により、時代によって、真理とされるものは違っている。真理は絶対的なものでなく、相対的なものに過ぎぬように思われる。もしそうであるとすれば、一般に真理はなく、知識は可能でないといわねばならぬ。真理はその本質上単に相対的なものでなくて絶対的なものであり、知識は真理として単に主観的なものでなくて客観的なものである。かようにして相対主義は懐疑論になる。懐疑論とは普遍妥当的な知識は存在せず、従って真埋は存在しないという主張である。論理主義者は懐疑論を反駁して次の如く論じている。懐疑論者は真理はないと主張するが、彼はかように主張することによって彼のこの主張だけは真理であると考えているのであり、従って少くとも一つは真理があることを認めているのであって、さもないと彼が懐疑論を唱えることも無意味にならなければならない、それ故に懐疑論は自己矛盾である。この批評は形式的には正しいにしても、抽象的であることを免れないといえる。論理主義者も歴史的事実としては絶対的真理の存在しないことを認めねばならぬであろう。他方懐疑論者も彼がみずから考えるように懐疑的であるかどうか、疑問である。彼等は実際においてはむしろ常識に従って生活しているのが普通である。懐疑論が常識主義になっているのは歴史においてつねに見られることである。事実、すべては疑わしいという立場においては我々は生きてゆけないのであって、生きている以上、何か確実なものがあること、拠り所となり得るものがあることを認めているのである。懐疑論は真理はないと主張することにおいて自己矛盾であると批評されるが、懐疑論は何等主張するものでなく、却ってピュロンがいった如く、判断中止が懐疑論者の態度であるといわれるであろう。しかしながら判断中止によっては我々は行為することができぬ。行為するとは決断すること、意志決定をすることである。それ故に懐疑論はたかだか観想の立場において可能であるのみであって、行為の立場においては全く不可能であるといわねばならぬ。もっとも懐疑論という立場を離れて、懐疑そのものを考えると、懐疑には重要な意味がある。すべての知的探求は懐疑に始まるのである。これまで真理と信じられていたことを疑うところから新しい探求は始まり、知識の進歩が可能になる。我々が行為的であることから知識的であることに移るのは懐疑においてである。懐疑によって独断を破り、正しい認識を得るということは、行為にとっても大切である。懐疑は探求の動力である。しかしながら探求は懐疑によって促されるにしても、探求そのものは何等かの真理のあることを予想している。さもないと探求するということはおよそ無意味でなければならぬ。「もし我が汝に出会ったことがなければ我は汝を求めはしないであろう」、とパスカルはいった。絶対的真理があるとの自覚がなければ、知的探求は始まらないであろう。もっとも、懐疑論は経験を尚ぶところに重要性をもっている。古代の懐疑論も、近代の懐疑論も、経験に訴えて論ずるのをつねとした。純粋に思惟によって絶対的真理に達し得るとする合理主義に経験の立場から反対した点に、懐疑論の真理性がある。しかし懐疑論は経験の意味を深く理解しなかったために懐疑論に陥ったのである。特にそれは観想の立場に止まって、経験を行為の立場から把握しなかったところに誤謬がある。

それにしても、経験的事実として知識が相対的であることは争われないように見える。相対主義には何等かの真理が認められねばならぬ。経験的に見るということも種々の意味があるであろう。論理主義に対するものは心理主義である。心理主義にも個人心理的見方と社会心理的見方とがあり得るが、いずれも発生的に考察するのである。論理主義者は自己の批判的方法を心理主義の発生的方法から区別している。発生的な見方は自然科学的な客観的な見方である。心理的に見るということもその場合自然科学的に見るということである。しかるに同じく発生的に見てゆくにしても、歴史的に見てゆくことはそれとは違っている。真に歴史的に見ることは単に客観的に見ることではなく、却って主体的に捉えることである。歴史的考察は心理主義と同じでない。歴史的なものは単に心理的なものではないのである。しかるに論理主義者は歴史的に見てゆくことをも心理主義の如く考えて一様に非難している。カントにおいては歴史的ということと心理的ということとが同じ意味に理解されている、彼はまだ歴史の本質について深い認識に達していなかったのである。

しかるにまさに歴史が絶対的真理のないことを我々に教えるようである。知識はそれぞれの時代に相対的である。哲学にしても時代の子である。懐疑論も、絶対論でさえも、その時代の産物であるといわれるであろう。かように、すべてのものは歴史的に制約されていると考えるのが歴史主義の立場である。歴史主義は相対主義であり、そしてすべての相対主義の如く、それは懐疑論と虚無主義に陥ると批評されている。実際、もし真理がそれぞれの時代に相対的であるとすれば、絶対的真理は存在しないことになるであろう。しかしこの場合先ず注意すべきことは、心理主義が普通に個人主義的、主観主義的であるに反して、歴史主義は何等か超個人的なもの、民族とか時代とかというものを基礎とするのがつねである。歴史の主体は個人であることができぬ、それは何等か超個人的なもの、いわゆる客観的精神の如きものでなければならぬ。客観的精神は個人的な主観的精神に対し、個人がそこから現われそのうちに立っている民族の如きものであり、「このものが各人において客観性を形作る」、とヘーゲルに従っていうこともできるであろう。かように超個人的な客観的なものを基礎とすることによって歴史主義は、相対主義であるとしても、主観主義的心理主義とは異っている。もし事実として絶対的真理はないとすれば、論理主義はそれを当為ないし規範として、即ちあるものとしてでなくあるべきものとして考えることになるであろう。歴史主義はかような当為の思想を主観主義であるとして、これに反対するという意味においてまた客観主義である。「あることなくして単にあるべきものは何等真理性を有しない」、とヘーゲルはいっている。歴史主義は歴史において最も客観的なものを見るのであるから、それが知識の歴史的制約を考えることは単なる相対主義とは区別されねばならぬ。それは相対主義を含むが、相対主義に還元されてしまうのではない。その立場は我々のすべての知識が相対的であることを承認するけれども、それは絶対的真理がないという意味においてでなく、我々の知識のこの真理への接近の諸限界が歴史的に制約されているという意味においてであるといわれるであろう。かようにしてマルクス主義に依ると、絶対的真理は無条件に存在するが、我々の認識は歴史的社会的に制約されているから一度にそれに到達することができない故に相対的真理であり、しかし絶対的真理は「もろもろの相対的真理の総計」にほかならず、科学の発展におけるおのおのの段階はかような全体に新しい一粒を附け加えるのである。人類はその歴史的発展の全体において、この発展のそれぞれの段階において発見された相対的真理の総和として、絶対的真理に到達する。「ただ総体の人間のみが自然を認識する、ただ総体の人間のみが人間的なものを生活する」、とゲーテもいった。ヘーゲルも絶対的真理を全体的真理と考えた。真理は全体的なもの、具体的なものであり、それは一度に自己のすべてを現わすのでなく、却って歴史において、その発展の過程の全体において初めて剰すところなく自己を現わすのである。かようにして一般に歴史主義は、発展の概念を導き入れることによって、一方知識の相対性を承認すると共に、他方絶対的真理を保証しようとしている。その際更に歴史主義は、諸時代の知識の間に一定の聯関、発展的聯関が存在すると見るであろう。この点で、それはまた懐疑論が知識の相対性をばらばらに考えるのとは異っている。ヘーゲルは知識の発展のうちに論理的聯関を認め、一つの時代の真理は一面的であり、従って抽象的であり、その限り非真理であるために否定され、それに対立するものが現われるが、このものも前者に単に否定的に対立する限り一面的で抽象的であり、やがてその否定の否定としてそれらの真理契機を自己のうちに高めて綜合する一層具体的な真理が現われるというように、弁証法の論理に従って発展すると考えた。かくて相対的真理は部分的真理として全体的真理の体系のうちにおいて意味を与えられることになるであろう。

著者: