古典復興の反省 (三木 清)

昨年あたりから喧しく云われて来た文芸復興なるものも、もはや清算さるべき時機に達したと一部の人は考えるようになった。なるほど、その間にどのような立派な作品が生れ、どのような新しい作家が出たかと云えば、大きな疑問である、然しながら以前にも述べた如く、私はこの文芸復興ということを一の現実としてよりも、一のミュトス(神話)と見て、それに意味を認むべきではないかと思う。あたまからその事実如何を問題にするのは、この場合寧ろただ破壊的な意味しか有せず、我々は却って人間の歴史におけるミュトスの重要な役割について考えてみるべきである。新しい歴史が始まるとき、何等かのミュトスが先ず孕まれるのがつねであるように見える。そして歴史的な仕事は一年や二年で実現され得るものでなかろう。批評家・ジャーナリストには親切さが足りないということがありはしないか。

それにしても、ミュトスはどこまでもミュトスである。ミュトスは形成されねばならぬ、またミュトスには認識が伴わなければならぬ。そしてそのような形成、そのような認識にとって古典への反省が屡々有益な手懸りを与えるということを歴史は示している。

数年前からこの国では古典復興の気運が見えていた。哲学界ではヘーゲル復興、それからスピノザ復興が唱えられた。文学界でも同じような萌しがあったが、それはここでは特に文芸復興の声と共に一時に開花した。かくて極めて短期間にバルザック、スタンダール、或いはドストイェフスキーなどが持ち出され、また西鶴や馬琴の如きも引き出された。このように文芸復興と古典復興とが結び付くということは理由のないことでないとも云える。あのヨーロッパの文化史におけるルネサンスにしても、それはギリシア・ローマの古典の復活と結び付いた。然しこの国における今の場合、両者の結合の性質は如何なるものであろうか。その古典復興は如何なる必然性を有するのであるか。

そのような古典復興も何となく外面的で必然性に乏しく、従って不安定なものに感ぜられはしないであろうか。それは或る外的事情から惹き起されたことであるかのように見える。例えば、ゲーテやスピノザの場合、それぞれの人の百年祭とか三百年祭とかが機縁となった。あの「シェークスピア復興」というが如き、事情はなおさら外面的であったであろう。或いは次のようなことが考えられる。この国は外国の新しい作家をそれからそれへと移入して来た。その驚歎すべき勤勉によって、新しい作家で紹介さるべきめぼしい者はもはや種切れになった感がある。そういうとき、これまで外国文学の次々の移植が習慣的になっていた処では、その惰力によって、今度は古典的作家に目を付け始める。しかも従来古典の研究普及が欠けていたこの国では、古典的作家も新しい作家と同じ種類の目新しさ、流行性を容易にもつことができる。固より、その事情がどうであるにしても、もし我々の側に何か強力な意慾、創造的なミュトス、明確な方向の認識があるのであれば、問題はない。それがないとすれば、本来の意味における古典復興はあり得ない筈である。なぜなら、復興とは単に過去のものを繰返すことでなく、却ってそれを手繰り寄せるということである。手繰り寄せるというとき、その端初は、そのプリンシプル(語原的には始めを意味する)は、我々の手元に、従って現在にある。我々はかかる復興の原理をしっかり捉えているのであるか。それとも古典復興とはただ名のみであって、実際は古典的作家の不安定な、浮動的な、好奇心による流行であろうか。

この頃の古典復興における中心的なテーマはリアリズムの問題であると云われるであろう。この問題の見地から古典的遺産が再吟味され、また摂取されつつあると考えることができる。然るにそのようなリアリズムとは何かと云えば、意見はまちまちであって、一般的な方向に関してすら一致が存しない。現実をそのまま写すことがリアリズムであると定義しても、これがなかなか複雑なことだ。現実とは何か、そのまま写すとは如何なることか、と問えば、忽ち意見が分れてしまう。最近流行のバルザックとドストイェフスキーとは、いずれもリアリズムの作家と見られ得るにしても、その意味は二人において違っていなければならぬ。西鶴はリアリストであったと云われるが、アララギ派の写生説乃至実相観入説も見方によってはリアリズムと考えられなくはなかろう。

「存在はいろいろに語られる」とはアリストテレスの有名な命題である。そして我々は哲学の歴史を顧みるとき、存在という語がまことにいろいろに語られているのを見出す。しかもこのように種々なる意味における存在の諸概念のうち、それぞれの時代の哲学においてそれぞれ、一定のものが特に優越な意味における存在概念として取り上げられ、他のもろもろの存在概念は、このものの見地から、このものの方向において解釈されるのがつねである。そして或る哲学者が如何なる存在概念を特に優越な意味におけるものとして選び取るかというところに、その哲学者の「世界観」が現れる。現実という概念に関しても同じである。ヘーゲルとマルクスとは、等しく現実に例をとりながら、現実という概念について全く違った説明を与えているが、そこに二人の世界観の差異が認められる。

文学の場合についてもほぼ同様のことが云われ得るであろう。何がリアリティと見られるかは、それぞれの時代において、それぞれの作家において異なっている。そして何をリアリティと見るかというところに、作家の「世界観」が現れる。作家のリアリズムは「身をもって描く」ことのほかないと云われ得るにしても、この場合肉体とか身体とかは単に物質的意味のものであり得ず、そのうちには作家の世界観が含まれているのでなければならぬ。世界観的なものは、根源的には概念的認識的なものでなく、或る意慾的なもの、パトス的なものである。然し世界観はまさに世界観として作家の「眼」というような意味をもたねばならぬ。それは作家のパトスから生れる根源的なイデーである。作家にとってリアリティとは単に与えられたもののことでなく、このような世界観にもとづき、創作活動を通じて生産されるものである。また世界観は、作家の意慾と眼は、客観的認識によって養われるのでなければ十分具体的現実的なものとなることができない。

かようにして新しいリアリズムは新しい世界観を基礎としてでなければ確立され得ないであろう。その限り、リアリズムの問題は単にいわゆる創作方法の問題であることができぬ。然るにこの頃古典からリアリズムを摂取しようという場合、世界観の問題を創作方法の問題から分離し、抽象してしまう傾向が見られるようである。なるほど、古典的作家から学ぶべきものはその芸術的手法であって、その世界観ではなかろう。然しながら彼等の創作方法と雖も、我々の新しい世界観の見地から取り入れられるのでなければ、真に生かされることができぬ。創作方法は世界観と結び付いて初めて具体的に創作方法であり得る。ところで、その見地から古典のリアリズムを学ぼうという新しい世界観はいったい何であるのか。これが定まらない限り、真の古典復興はあり得ない。

この頃の古典復興において感ぜられる不安定性は、創作方法の問題と世界観の問題との分離抽象、そしてその見地から古典的作家の創作方法を取り入れ、その立場から彼等の世界観を批判すべき新しい世界観の欠如乃至浮動性にもとづいていると考えることができる。然るにかくの如き創作方法の問題と世界観の問題との分離抽象は、一部分は、現在云われる文芸復興が初めいわゆる「純文学復興」として唱えられたということに関係があるであろう。このことは、イデオロギー文学の弊害に苦しんでいた当時の情勢においては然るべきことであった。けれどもそのために、今度はイデオロギーというものに対してむやみに恐怖し、排斥的態度を取るということが生じた。またそのために、純文学においてはイデオロギーの問題は全然除去して単に創作方法ということが問題になるという風に考える傾向がおのずから出来た。そのとき世界観というようなものもこの種のイデオロギーに過ぎないと見做されている。然しながら既に云った如く、世界観はもと概念的抽象的なものでない。また創作方法は世界観と結び付かなければ真に創作方法でもあり得ないであろう。

この点について、あの唯物弁証法的創作方法というものが十分に省みられねばならぬ。この創作方法は、その基礎である世界観が正しいか否かは別問題として単に方法論的に見るとき、よしそれが作家にとってあまりに概念的、演繹的に過ぎるということはあるにしても、とにかく世界観と創作方法との結合についての明確な自覚を有するという点において、勝れた特色をもっている。固より作家の世界観は必ずしも観念的に明瞭になっていることを要しないであろう。然し世界観的問題に全く触れないでリアリズムというが如き性質の問題を取扱うことは果して可能であろうか。

私は反対に、文芸復興と呼ばれる現象の現在の段階においては、世界観の問題がもっと真面目に、活溌に議論さるべきではないかと思う。なぜなら「純文学」復興という標語のもとに出発したこの現象は、今日、あのリテラーテントゥム(文士風)、或いはあのエステーテントゥム(唯美主義者風)、ニイチェがあのように激しく批判したこれらのものを、新しい形態で産出しつつあるように感ぜざるを得ないからである。もしも文芸復興ということが、嘗てプロレタリア文学の進出によって破壊されたそのようなものを再興するということであるとすれば、それは何如に惨めなものに過ぎないであろうか。

いつぞや深田久弥氏は読売新聞に「私評論について」という論文を書かれ、哲学的な文芸批評に対する軽蔑を示された。文芸批評には確かに私評論といった要素が含まれねばならず、それでなければほんとには文芸批評とも云われないかも知れない。そこで正直に云うと、私など時々文芸批評家並みに取扱われて却って迷惑を感ずることもあるのであるが、然し私は、この国の若い人々の間に哲学的な文芸批評が流行するにしても、それほど軽蔑すべきことでも排斥すべきことでもないと考える。外国においても最近哲学出身の文芸批評家が多くなったということは云わなくとも、そのようなことは寧ろ当然のことであると思う。なぜなら文芸復興ということ、そしてそれに関連して古典復興ということが真に存在すべきであるならば、新しい世界観が問題にならねばならず、そして哲学的な文芸批評が関心するのは主としてこの問題である筈だからである。もちろん世界観の問題も創作方法の問題から抽象さるべきでなかろう。然し私小説讃美とバルザック讃美とが一つの口から出て来るようなことも如何であろうか。

近年わが国では国文学の研究が盛んになって来た。日本文学に関する講座、註釈書、研究書の出版は夥しい数に上っている。然しそれがどれだけ深く現代文学に交渉し、影響しているかということになると、甚だ疑わしい。それは今日の文学にとって、嘗て万葉集がアララギ派の歌人にとって有したほどの力を有するであろうか。その場合にはともかく万葉復興と云われてよいものがあった。然るにこの頃の国文学研究の繁昌は、本来の意味での「古典復興」と見られ得るか、大いに疑問である。

国文学研究におけるかくの如き現状は、その研究方法の欠点にもとづくところが少くないであろう。日本文学の研究は明治以来西洋の文献学的方法を採用することによって発達した。この方法は当時においては新しいものであり、確に有意義なものであったに相違ない。然るに今はそのような文献学的方法の限界が明瞭に認識さるべき場合になった。文献学的方法がアカデミーにおいて伝統となり、固着するに及んで、その弊害もまた顕著になりつつある。アカデミックな意味での「仕事」をし、業績を挙げるには、この方法はなるほど誰にでも適したものである。ひとは顕微鏡的事実の穿鑿に没頭し、そして「仕事」をしたと自分でも考え、他人にも思わせることができる。従ってアカデミズムがこの方法の限界を越えるということは、それほど容易ではないのである。

国文学研究はかかるアカデミズムによって現代文学とは関係の薄いものとなっている。今日の文学に対する深い理解と愛、将来の文学への真面目な関心と配慮をもちつつ日本古典の研究に従事している国文学者がどれほどあるであろうか。文献学的方法に囚われたアカデミズムかさもなくば多くは古い文学に対する伝統的な崇拝の範囲を出ていないようである。現代の生きた文学的意識からの古典の批評研究は殆ど見られないのではないか。

さきほど源氏物語の戯曲化が試みられて問題になったが、その価値はどうであったにしても、ここでは凡ての新しい試みは歓迎されてよい。冒険も無意味ではない。新しい方法による研究、新しい見方による批評が出て来ない限り、真の古典復興は望み難いであろう。唯物史観的見地における日本文学の社会的批評も次第に現れて来たが、それにとどまらずもっと文学そのものの原理を重んじた新しい批評の出ることが必要であろう。

最近における日本主義の思想の流行は国文学復興にとって一見都合のよいものである。然しながらこの日本主義そのものが無理論、無展望であってみれば、その基礎において真に将来的意義のある古典復興は期待されることができぬ。そればかりでなく、日本の文学は明治以来絶えず外国文学の影響を受けつつ発達して来たが、今やこのようにして出来上った地盤を離れてこの国の文学の将来の発展は考えられ得るであろうか。もし日本主義者の西洋思想排斥が、長年月に亙る外国文学の移植・同化の努力によってせっかく出来たこの地盤を破壊してしまうが如きことでもあれば、それこそ悲むべきことであろう。私は固よりそのようなことがあり得るとは信じない。

古典復興も、そして文芸復興も今はなお不安定なものである。然し我々は失望してはならぬ。ヘーゲルは云う、「自然は最短の道を通じてその目的に達するというのはよく知られた命題である、これは正しい、──然しながら精神の道は媒介であり、迂回の道である。時間、苦労、消費、──有限な生命におけるかくの如き諸規定はここでは当て填らない。我々はまた、特殊な諸知見が既に今成就され得ない、──此れ或は彼のものが既にそこにない、ということに辛棒し切れなくなってはならない。世界歴史においては進歩は緩慢に進む。」

(一九三四年三月)

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