ネオヒューマニズムの問題と文学 (三木 清)

いつのほどよりか、この国において、文芸復興ということが語られるようになった。それは現代に数多いあのミュトス(神話)のひとつに数えられてよいであろう。我々はこの文芸復興ということを、一つの現実としてでなく、一つのミュトスと見て、それに或る意味を認めることが出来る。その事実如何というと、もとより疑問があろうけれども、それを単に事実問題として論ずるが如きは、この場合破壊的な意味しかもたないともいえる。むしろ我々は人間の歴史におけるミュトスの重要な役割について考えてみるべきである。ミュトスは客観的事実をそのまま現わすものでないが、決してただ荒唐無稽なものではない。人間の新しい歴史が始まるとき、何等かのミュトスがまず孕まれるのがつねであるように見える。

しかしミュトスはどこまでもミュトスである。ミュトスは形成されねばならぬ、ミュトスには認識が伴わなければならない。それ故に、もし現代文学の課題がいわれるように「不安から再建へ」という標語をもって現わされ得るものとすれば、我々の問題は、あの烈しい審判者アンリ・マシスの語を藉りるとき、「再建の原則」である筈である。かかる再建の原則の問題は単に創作方法にのみ関することであり得ないであろう。というのは、例えば、不安の文学の一代表者と看做されるアンドレ・ジードは、「私は自分が今日クラシシズムの最良の代表者であると考える」と宣言する。そしてマシスの如きにしてもジードの芸術的手法がクラシックであることは認めるのであるが、彼はジードがこのようなクラシックの芸術的手段を生の観念、理性の観念等を破壊するためにしか用いないといって非難する、クラシックな芸術ではあるが、「クラシックな人間」ではないと判断する。再建の原則は或る意味では文学以前のものに関係し、しかもかような文学以前のものも実は文学にとって決して無関係ではない。再建の原則は特に「時代批評」のなかから生れ、そのうちに含まれていなければならぬ。ここに時代批評というのは単に文学のいわゆる社会的批評のことを意味するのでない。ニーチェはすぐれた時代批評家であって、かかる者としてとりわけ現代の文学に深く交渉しているように。そのような意味での時代批評というものがある。ニーチェは文学上のエピゴーネントゥム(亜流者風)を批判し、現実とその問題を回避するエステーテントゥム(唯美主義者風)及びリテラーテントゥム(文士風)を排斥した。そして彼は新しいミュトスとエートス(倫理)とを要求する。尤も彼の精神力はこのミュトスを形成するに至らずして破滅した。ところで今の時代はそれ自身のうちにまことにさまざまなミュトスを内蔵している。従ってこのとき時代批評の機能は、かようなミュトスの批判乃至形成のための原則の認識を与えるところにある。今日において特に、文芸批評の如きも何等かの仕方で時代批評の意味を含んでいなければならないと思う。近頃わが国の文壇の一部で、しかも批評家たち自身の間において問題になった批評の無能ということにしても、ひとつの理由には、批評が時代批評の意味を喪失しつつあるところから感じられたことではないであろうか。

すこし以前私は不安の思想とその超克について論じ、現代の文学と哲学とに共通する態度及び方法の主要なものを分析し、そのひとつの結論として、新しい人間タイプの構成ということに及んだ。これはいうまでもなく、より広い関連と立場とにおいて考察されねばならないことであって、その場合すぐに思い附かれるのはネオヒューマニズムの問題であろう。あの『不安と再建』の著者バンジャマン・クレミューは確かにそのように再建の原則としてネオヒューマニズムを主張している。しかしながらヒューマニズムという如きものは、何にしても、今日においてなお文学の新しい精神となり得るであろうか。我々はいまこの問題に関して若干の考察をなそうと思う。

ヒューマニズムという語は歴史を負うている。文化史上ヒューマニズムというと、二つの時代、即ちルネサンスとドイツ古典文学の時代とのことが思い出されるであろうが、特に前者の場合を考え合わせるというのが普通であろう。そして事実、ルネサンスとヒューマニズムとは互に取り替えることのできる二つの概念である。ただ一般の用語法においてはその間に区別を立て、ヒューマニズムの概念はあの文化過程の学問的な、文学的な方面に限られ、そしてルネサンスという概念は、狭い意味では単にその時代の美術の方面を、けれど広い意味では当時の全体の精神的文化を指し、かくてまたルネサンス的人間、ルネサンス的国家、などという風にも使用されている。しかし現在の文化史的研究によると、ヒューマニズムとルネサンスとは一つの統一をなし、同一の文化運動を現わす異る名に過ぎない。その入口にダンテが、その出口にミケランジェロが立っている。中世から近世を劃するこの重要なルネサンスの意義がどこに存したかについて考える場合、我々は今の関係においてさしあたり二つの点に注意しなければならぬ。

まず、ルネサンスは文字通りに「再生」または更生を意味する。従ってそれはもと決して単に美術上の一定の形式乃至主義を意味するものではなかった。この語をあの時代に最初に用いた人々は、ギリシア的・ローマ的古代の再生のことを特に考えたのではなく、或る死したるもの、死したる文化の復興、破壊された世界の再興のことを思ったのではない。その人々はむしろ自分自身のことを、自身の自己と自身の現在の生のことを、自身の人間的再生、彼等の人間性の革新のことを考えたのである。文化史家ブルダッハの言葉によると、ルネサンスは何よりも「人間性の理想的なタイプ」に向っての努力であり、そしてこのことはまたヒューマニズムの運動の本質でもあった。二つの運動に共通な核実は、新しい人間価値に向っての、人間の新しいタイプに向っての努力である。この核実は、美術を新しい軌道へ推し進める前に、まず文学的形成において現象した。ダンテの一作品がその名としているような「新生」の、もしくは再生の像は、つとにボナヴェンツラ、ダンテ、ペトラルカ、ボッカチヨ、リエンチの時代を支配していた。新しい人間性の探求、発見、確立がヒューマニズムの、そしてルネサンスの根柢的な要求であった。

次に再生の像はもともと文芸以上のものに関していた。ルネサンスは単にいわゆる「文芸の復興」を意味するのでない。この像は初めには教育及び社会の、後には主として文学の、美術の、道徳的及び社会的生活の革新に対する熱烈な要求の表現であった。ダンテは「新しい詩」において人間の魂の革新を求めた、けれども彼はそれをただ専ら神との関係において求めたのではない。彼はもとより教会の改革を望みはしたが、しかし彼はそれを一切の地上的なものの、国家及び社会の革新との関連において期待したのである。ルネサンスは単に文芸のそれではなく、個人のそれでもなく、同時に社会のそれであるべきであった。革新の要求は普遍的に感じられ、普遍的な連関において考えられていた。ペトラルカの言葉を藉りると、「事物の核心が変化すること、」「地上の面貌が他のものとなり、精神の状態が以前とは違ったものとなり、天が下に生きる何物ももはや自己自身と同じにとどまらない」ということが要求されたのである。それ故にペトラルカにとっても決定的なことと考えられたのは古代的事物、古代の文学及び美術の復活、再興ではなかった。

かくの如き歴史的回顧は、あまりに簡単に過ぎるけれども、我々が今日新しいヒューマニズムの問題を考えるにあたって十分反省を与えるものである。ネオヒューマニズムのもとに理解すべきは何よりも新しい人間性の探求、人間の新しいタイプへの努力であり、それはかような探求と努力とを文学においても期待するものでなければならぬ。それはいずれかの古い文芸の復興、ルネサンス時代のヒューマニズム、或いはあの第二のヒューマニズムともいうべきドイツ古典文学並びに美学の再興のことであり得ない。そして人間の再生はそれだけとして、また単に文芸においてのみ待望さるべきことでなく、特に社会の革新との関連において期待されなければならぬ。それは相互に連繋した事柄である。人間性の問題に固著して社会の問題を滅却するというが如きことはヒューマニズムの精神であり得ない。ルネサンスの仕事がよく言われるように「個人の発見」にあったとすれば、新しいヒューマニズムの問題はむしろ社会的人間でなければならぬであろう。けれどもそこでは単にいわゆる「社会」のみが問題になるのでなく、ヒューマニズムはもとよりヒューマニズムとして人間性の問題を割引して考えることを許されていない。かくして新しいヒューマニズムにとっては社会性と人間性との結合ということがその中心的な問題であるべき筈である。もちろんこの二つのものは本来別のことがらではないであろう。しかしながらこれまで、社会性を強調する場合多く客観主義の弊に陥り、人間性を力説する場合多く主観主義の害を伴ったということも争われない。それ故に新しいヒューマニズムにとっては、単なる主観主義と単なる客観主義とを自己のうちに包むより高い立場において、人間性と社会性との綜合を企てるということが問題である。

実にかくの如き問題情況が歴史の順序によって我々に与えられている。ジンメルは大いなる文化時代の各々においてそれぞれ一つの中心概念、もろもろの精神的運動がそれから出て来ると同時にそれへ向って行くように見える一つの中心概念が認められ得ると考え、かような中心概念として十九世紀には「社会」の概念が現われ、そして二十世紀への移り目から「生」の概念が代って中心的位置を占めるようになったと述べたことがある。しかるに現在において、一方、社会がそのような中心概念でなくなったのではない、反対にそれはいよいよその圧力を加重している。ただ社会は我々にとってもはや十九世紀の人々が考えたような何となく空想的な、表面的なものでなく、そのリアリティとして見出された社会は最も非社会的な社会であった。そして他方、生は今日において依然「生」の概念として中心概念であるのでない。かの「生より実存へ」という合言葉の示す如く、二十世紀の初めにおける多かれ少かれロマンティックな生の概念は、現在のいわゆる「実存」の概念によって置き換えられて、リアリズムの上におかれると同時に、その極限にまで突き詰められた。実存というのは人間生存の或る極限的なものである。生がこのように主体的な方向に追求されてリアリティとして顕わにされたのは、いわば有でなく却って無であり、生ではなくむしろ死であった。右の如き、社会及び人間の、二つの方向における極限情況のうちにまさに、新しいヒューマニズムの問題は横たわっているのである。そこにこの問題の深みとその弁証法的な性質とが認められねばならぬ。かかる極限情況におけるものとして問題は、政治的には新秩序の問題として提出されている如く、芸術的にはその最も深き意味における創造の問題であるのほかない。今日特に創作ということは革新というのと同様の意味をもっていなければならないと思われる。このことは、文学における政治主義乃至政治の優位などいうこととは別に、深く考えてみるべきことではなかろうか。そして我々は、今日の文学におけるかかる創造の問題は、とりわけ新しい人間タイプの創造の問題でなければならぬと信ずる。

なぜなら、今日我々にとって自明のものであるような人間のタイプは存しない。そのことはまさに、この時代に人間の本質についての見解が不確かで、曖昧であることを示すものである。そしてそのことが我々の時代において、特別に人々を人間学というものに関心せしめ、人間学のかくも流行する原因ともなっているのである。このような人間学の代表的な学者、ディルタイ、シェーレル、ハイデッゲルなどの思惟を動かしているのは、現代においてほど人間の起原及び本質についての見解が多義的であったことはないという意識にほかならない。心理学、生理学、人類学、社会学等、人間に関する科学は非常な発達をなした。如何なる時代も今日の時代ほど人間について多くのこと、多様なことを知ったことがない。人間に関する種々なる知識はかつてになく増大したにも拘わらず、我々の時代にとってほど人間が曖昧なものになったことがないというのは、如何なる理由によるであろうか。人間のタイプは崩され、失われている。しかも現代の人間学は何等新しい人間タイプを構成するに至っていない。いな、却って、人間タイプの構成という目標を自覚していないところに、現代の人間学そのものの根本的な欠陥が見られる。あたかもその点に、これらの人間学がその豊富さにも拘わらず満すことのできぬ貧困を感ぜられる理由がある。我々の時代において、人間学は新しい人間タイプの構成の課題を捉えなければならない。しかるに今日の人間学はいわゆる「生の哲学」や「実存の哲学」の中にみずからを隠してこの課題を避けようと努めているようにすら見える。この課題を捉え、それを解き得るためには、人間学は、それの多くが従来立っているような理解の立場を越えねばならぬ。そして人間学が真に具体的に行為の立場に立つとき、それは今の時代においては必然的に新しい人間タイプを要求するに至るであろう。過去の時代においては、なかんずくフランスの「人間の哲学」はつねに人間のタイプを形成した。フランス的意識は人間の抽象的な概念に満足せず、その生きた像を創造しようとした。この生きた像はつねに現実的な諸要素から、つねに毎日の生活に、各々の時代の諸要求に、各々の世代の諸可能性に相応して形作られた。ストロウスキーによると、それはモンテーニュの時にあってはgentilhommeであり、パスカル及びラ・ロシュフーコーの時にあってはhonnête hommeであり、ヴォルテール及びモンテスキューの時にあってはciviliséであり、バルザック及びスタンダールの時にあってはhomme socialである。今日そのようなタイプとしてinquiétantが現われていると見られようが、しかしながらかくの如き不安の人間はいわばタイプ的ならぬものであり、人間がタイプとして失われたところから生れたものである。ひとはそのことをかかる人間とアウグスティヌスやパスカルにおける不安の人間とを比較することによって知り得るであろう。かくて我々の問題は不安より再建への道である。タイプはここで単に理解の対象でなく、却って創造の目的でなければならぬ。尤も人間学は哲学に属し、そして哲学はその本質上概念性を離れ得るものでないとすれば、人間タイプを真に具体的に描き出すということは文学の仕事に委ねられねばならぬであろう。

ここにおいて我々は一般に芸術的創作と人間との関係について、簡単にしても反省しておかねばならぬ。新しいヒューマニズムの文学として考えられるのは、社会派に対する人生派の文学というが如きものでないことはもとより、芸術のための芸術の主張に対する人生のための芸術の主張であるのでない。かくの如き対立論に固著することなく、新しいヒューマニズムは問題をむしろ次のように認識すべきであろう。

一、真の芸術家はつねに芸術家以上のものである。単に道徳的にのみ努力する者は道徳的にも最高の域に達し得ないが如く、単に芸術的にのみ努力する者は芸術上或る高さに達し得るにしても、最高の所に到り得ないであろう。芸術は人間のうちにおいて生れ、その人の作品のうちにはその人の人間がおのずから表現される。性格が偉大でない場合、偉大な人間はなく、また偉大な芸術家もない。

二、しかし次に、芸術が人間のうちに生れるばかりでなく、人間が芸術のうちに生れるのである。人間における芸術の生成と同時に芸術における人間の生成が問題である。芸術も人間も共にこの二つの側面から見られなければならない。芸術は人間を創造する。創造が現実の模倣でないのはいうまでもないが、また非現実的で観念的なものは創造物とはいわれないであろう。芸術的活動の本質は現実の模倣でもなく、現実の観念化でもなく、却って現実の生産である。もしも芸術が現実の模倣に過ぎないとすれば、芸術は我々にとって何の意味があるのであるか。

三、そして更に、芸術は芸術的に人間を創造することによって現実の人間を変化する。オスカー・ワイルドの言葉はよく知られている。「自然は芸術作品がそれに供するところのものを模倣する。」人間という自然は芸術家の創造した人間を模倣することによって自分自身を変化する。人の顔つきを読み、姿や身振を判ずることにおいて、画家が我々の教師であった。詩人は人間を理解するための我々の器官であり、そして彼等は如何に我々が恋愛や社交において振舞うかという仕方に影響を与える。芸術家の創造した人間タイプは、いましがた道で会ったばかりの人間よりも鮮かに我々の目の前にあって、我々は我々の生活の細部に至るまで知らず識らずそれを模倣している。芸術家が社会的革新に参与するということは、政治的実践の問題としてだけでなく、特にこのような方面から考えてみなければならないことである。

現代文学に深い関係を有する時代批評家ニーチェは『善悪の彼岸』の中で次のように書いている。「嘗てひとは彼の神のために人間を犠牲にした。……次に人類の道徳的な時代においてひとは彼の神のために彼の有した最も強き諸本能を、彼の『自然』を犠牲にした。……最後に、何がなお犠牲にすべく残ったか。……ひとは神そのものを犠牲にし、そして自己自身に対する冷酷さから……重力を、運命を、無を崇拝せねばならなかったのでないか。無のために神を犠牲にする──終局の冷酷さのこのパラドキシカルな秘密が、今まさに現われて来る種族に貯えておかれた、我々すべての者はそれについてすでに少しは知っている。」生の、実存の哲学者、この詩人的哲学者が自己の生と実存とを追求して「終局の冷酷さ」、徹底したリアリズムの果てに到達したものは「無」であった。そこにこのようなリアリズムの「パラドキシカルな秘密」がある。しかるにかかるリアリズムは、いわば無のリアリズムとして単なるリアリズムでなく、むしろその底に或るロマンティシズムを含むであろう。この無はそこから絶えずミュトスが生れるところのものである。そしてニーチェの予言した如く、今日無数に現われている不安の人間は、「無」を喰って生きている種族に属すると見られ得るであろう。

ここに西欧的な、ギリシア以来の「有」の哲学は破滅したように見えた。そしてあのさまざまな現象が現われた。例えばシュペングレルの「西洋の没落」、東欧的・ロシヤ的なものの感化、特にドストイェフスキーの西欧への侵入、ポール・ヴァレリイの「精神の危機」、或いはまたロマン・ローランのガンジ崇拝、その他、等々。我々はこれらのことをもう一度想い起してみてもよい。おおまかにいうと、伝統的な東洋の思想は、西洋の思想がイデアの哲学であるに対して、パトロギー的であることを特色とし、その根柢には無というものがある。この無と、かの、ニーチェのいうような無とは、もとより直接に同一でないけれども、──無は一般的なものでなく、つねに性格的なものである──かの無が我々の場合においてこの無につらなることは心理的に不可能ではなかろう。そこでかのいわゆる心理文学の影響を受けたこの国の作家たちが我々の間に伝統的な心境文学の傾向を容易にとり得るというひとつの理由も理解される。不安の文学が我々の間において、すでに一部に見られなくもない、東洋的な自然主義乃至アナーキズムに心易く落付き、或いはまた私小説に還ってしまうようになって、文学の前進が阻まれることのないためにも、ネオヒューマニズムの問題が取り上げられることは必要でなければならぬ。

しかし右の如き精神情況から出発して我々は如何に再建の原則を問題にすべきであろうか。新しい人間は新たに創造されなければならぬ。無のために神を犠牲にした人間は同時に自己のタイプを失ってしまった。ひとは無に突き当ることによって創造を必然的にされる。そのときまたひとは創造を可能にされる。ニーチェが自己自身に対する終局の冷酷さによって達したような、あの無は、それが芸術における創造の原理ではないであろうか。創造というからには、有から有が出て来るのでなく、無から有が出て来る意味がなければならぬ。アンドレ・ジードがブレークに和して掲げた箴言、「デモンの協力なくして芸術作品はない」にいうデモンはこの無ではないか。横光利一氏は書いている。「一切の文学運動はただ一条の虚無へ達し、そこから脱出せんがための手段である。」「文学者の仕事というものは、優秀であればあるほど、体系からの創造ではなく、虚無からの創造であった。」体系からの創造ということは本来の意味ではあり得ないことであって、創造はすべて無からの創造の意味を含まなければならぬ。無は心理ではない、むしろ心理を生むところの行為である。無は人間ではない、むしろそこから芸術における人間の生成があると考えられるところの根源である。彼の制作がこのような無に根差しているところに芸術家の芸術家としての生存理由がある。またそこにあらゆる制作が表現であるということの理由がある。しかしながらそれにしても、我々人間にとって無からのみ人間を具体的なタイプとして創造することは不可能である。無から生れ、また無を顕わにする心理を描く文学は、人間のタイプの完全な創造にまでは到り得ない。心理は絶えず特殊なもの、しかしタイプは或る一般的な、或る客観的なもの、心理は絶えず流れるもの、しかしタイプは凝聚した、結晶したものである。無から人間が創造されると見られる限り、それはタイプでなく却ってひとつのミュトスであるに過ぎない。無のパトスから生れて来るのはミュトスである。ニーチェの超人の如き、タイプというよりもかようなミュトスであり、この超人をソレルにおいての如くプロレタリアートの意味に解釈するにしても、かかるプロレタリアートはそのものがひとつのミュトスにほかならない。現代はまことに多くのミュトスを包蔵している時代であり、そこにあらゆるリアリズムの提唱にも拘わらず、現代のロマンティシズム的性格がある。このことは如何なるリアリズムの唱導者も見逃してはならないことである。時代にとって根源的なかようなロマンティシズムは終局は単なるリアリズムに納まることができず、クラシシズムにまで発展しなければならないのであって、そこにまたヒューマニズムへの道が示されていると見られ得る。クラシシズムの底にはミュトスがある。プラトンがクラシック中のクラシックであり、シルレルよりもゲーテが遥かにクラシックである所以である。人間の創造は無限であることができない。人間的創造には限界があり、「創造」は「発見」という方面を含まねばならぬ。発見されるものは有るもの、既に在るもの、与えられたものである。人間のタイプはかくの如く社会のうちに客観的に発見されるものである。社会の変化するに従って、種々の新しいタイプの人間が現われる。これの精密な観察は芸術家にとって極めて重要なことであるが、しかし他方芸術家は単に実際にあったことを描くのでなく、却って可能なことを描く者でなければならぬ。彼等が自己の情熱から割り出す人間存在のこのような可能性は、決して非現実的なものでなく、むしろ現実の根拠ともいうべきものであって、現実的といわれるものが却ってそれとの関係において単に可能的として理解され得るようなものである。かくて要するに、人間の真の意味におけるタイプは発見と創造との結合、その弁証法的統一において初めて構成されることができる。人間そのものが実に主体であると同時に客体であるからである。もちろん、かの不安の文学も多くのものを発見したといわれるであろう。けれどもそこにおいて発見されたのは人間心理、さまざまのパトスであって、それだけでは人間はタイプとしては構成されず、却って破壊されてしまわねばならなかった。人格は分解されてしまった。分解された人格は意識の流であっても、具体的な人間ではない。そのような文学における大きな不十分さは、あらゆる生ける存在は、それが生きているという事実によって、絶えず自己を構成するために、或いは自己を結合するためにはたらくものであるということを忘れた、もしくは認めなかった点にある。人間は自己をタイプに形成しようとする要求をみずからのうちに具えている。かかる形成は社会的環境において行われる。人間タイプを構成しようとする文学は客観的なもの、一般的なものを思考せねばならぬ。すぐれたモラリスト、パスカルがすでにいっている、「一般的なものに向わねばならぬ、自己に向う傾向はあらゆる無秩序の初めである。」一般的なものはロゴスによって発見され、認識されるものである。ロゴスは、その語源の示す如く、結合するものである。そして一般的なもの、客観的なもの、外に見られるものに向う心を除いてクラシックの精神はない。新しい人間タイプを構成すべきネオヒューマニズムの文学が単なる心理学であり得ないのは明かである。タイプはパトスとロゴスとの統一によって構成される。

このようにして有力な文芸批評家の一人として知られるラモン・フェルナンデスが、現代哲学について述べていることがらは、現代文学にとっても同じように考えてみなければならぬ問題を含んでいる。従来の哲学の存在理由は認識の要求であった。しかるにフェルナンデスの批評によると、現代哲学は多少とも意識的に、これまでその存在理由であった認識の要求に代えるに、創造の要求をもってしようとする。即ち、現代哲学の大部分は──プラグマティズム、ヘーゲル哲学とその系統を引いた諸多の哲学、並びに不思議にもマルクス主義、フッサール流の厳密な現象学を除くドイツ哲学は、認識の哲学を装う創造の哲学である、と彼はいっている。認識の要求にもとづく哲学がロゴス的であり、有の哲学であるとすれば、創造の要求にもとづく哲学は、それに対する関係においては、何等かパトス的であり、無の哲学の意味を有すると見られることができよう。飽くまで客観的認識の上に立つことを標榜するマルクス主義が不思議にも創造の哲学に属するということは、その弁証法の革命的性質からも知られ、その根柢には激しい情熱が動き、ミュトスが含まれ、ロマンティシズムがある。またパトスにおいて顕わになる無、運命、死等の意味を突き詰めようとする、即ち固有な意味でパトロギー的な哲学においても、問題にされるのは行為であり、或いは自由であり、そして倫理である。ジードは芸術の無動機性について述べ、無動機の行為というものが彼の作品のひとつの主なるテマとなっている。新しい心理文学では、心理を通俗の考え方のように行為の原因と見るのでない。認識の哲学が客体的なものに向うとき、創造の哲学は主体的なものに向う。ところでフェルナンデスはいう、「私には認識の哲学と創造の哲学との間に何等かの関係が可能であるかどうか分らない。が、こういうことはよく分っている。即ち、価値の創造者としての情熱の機能、絶えずその定義から逃れる一の世界における理性の機能、この二つの機能を解剖し、測定してしまわない限り、如何なる秩序も哲学的宇宙を支配することはできないであろう。」これを我々の言葉をもって言い換えるならば、今日の世界観にとっては、ロゴスとパトスとの解剖と測定との上に立った両者の統一が要求されているということになる。認識と創造、有と無、客体と主体との弁証法的統一が新しいヒューマニズムの基礎であるべきであろう。

かくの如き結論は創作方法の問題に関しても、或る反省を与えるものである。この頃創作方法として問題にされているのはリアリズムである。しかるにそのようなリアリズムとは何かといえば、意見はまちまちであって、一般的な方向に関してすら一致が存しない。現実をそのまま写すことがリアリズムであると定義しても、これがなかなか複雑なことだ。現実とは何か、そのまま写すとは如何なることか、と問えば、たちまち意見が分れてしまう。最近流行のバルザックとドストイェフスキーとは、いずれもリアリズムの作家と見られ得るにしても、その意味は二人において違っていなければならぬ。西鶴はリアリストであったといわれるが、アララギ派の写生説乃至実相観入説も見方によってはリアリズムと考えられなくはなかろう。「存在はいろいろに語られる」とはアリストテレスの有名な命題である。我々は哲学の歴史を顧みるとき、存在という語がまことにいろいろに語られているのを見出す。そして或る哲学者が如何なる存在概念を特に優越な意味におけるものとして選び取るかというところに、その哲学者の世界観が現われる。現実という概念に関しても同じである。ヘーゲルとマルクスとは、等しく現実に例をとりながら、現実という概念について全く違った説明を与えているが、そこに二人の世界観の差異が認められる。文学の場合についてもほぼ同様のことがいわれ得るであろう。何がリアリティと見られるかは、それぞれの時代において、それぞれの作家において異っている。そして何をリアリティと見るかというところに、作家の世界観が現われる。世界観的なものは、根源的には概念的、認識的なものでなく、或る意欲的なもの、パトス的なものである。それは作家のパトスから生れる根源的なイデーである。作家にとってリアリティとは単に与えられたもののことでなく、このような世界観にもとづき、創作活動を通じて生産されるものである。かようにして新しいリアリズムは新しい世界観を基礎としてでなければ確立され得ないであろう。創作方法の問題から世界観の問題を分離し、抽象してしまうことはできぬ。創作方法は世界観と結び附いて初めて具体的に創作方法である。

フェルナンデスはバルザックの方法に関する論文の中で、物語と小説との区別について次の如くいっている。「物語は過去となったもの、体験されたもの、終了したものを取扱うのであるから、ひとつの場面乃至はひとつの心理的錯綜の生き生きとした現実的発展の性格的な表現を尊重すべき義務をもたない。物語はこうした性格的表現のかわりにひとつの表示法を、即ち一方においては推理並びに知的な結合法に近似し、他方においては絵画的描写並びに一般的な記述法に近似している表示法を置き換えることができる。」ところが小説においては、「小説家の描き出す生活は、生活されつつある瞬間における生活である。彼はその紆余曲折と律動とを忠実に表現する。彼の理知は指導的であるというよりもむしろ被指導的であるように見える。純粋小説は、作者が想像の場面の雰囲気とニュアンスとをあたかも彼が実際の場面の目撃者であったかのように描き出すその才能や、或いはまた作者が彼とは異る一人物の内部生活を生活するその才能を表明してくれるものである。小説におけるもろもろの場面は、物語の場面におけるように、これらの場面を準備し構成するひとつの意識の解説となるものではなく、却って小説のリアリズムを証拠だてるユニイクな証しとなっている。それと同様に小説の人物のもろもろの動機は、因果的推理の最終項を表わすものではなく、いな却ってあらゆる推理、後に来るべきあらゆる思惟の原初的与件となっているのである。」「それ故に真の小説をそれと認定すべき誤のない方法が存在する。即ち感覚的心理的表現の連鎖関係が推理に依存していないこと、または生の発現秩序とは異る他の発現秩序に依存していないこと、且つまたもろもろの人物が外部から観察され、描かれているのではなく、我々と生きた個人とを関係づけるところの直観に類似した一種の直観によって把握されていることを確認すれば十分である。」しかるに物語と小説とのこのような相違は、本質的に見ると客体的な時間における過去と現在、即ち例えば一世紀前の人物を描くか、それとも今日の人物を描くかという点に存するのでなかろう。昔の人物を描くにしても純粋な小説であることが可能である。問題はむしろその人物を主体的に理解するか、それとも客観的に把握するかということである。しばしば論じた如く、すべてのものは客体もしくは対象としては「既に」という性格を、或る根源的な過去性を担っている。それ故に現代の人物といえども、それが単に客体的に捉えられる限り、その記述は物語に属する。問題はまたパトス的に捉えるか、ロゴス的に捉えるかということである。物語においては事件や人物は対象的に、ロゴス的に捉えられるのであるから、その表示法が、フェルナンデスのいった如く、性格的表現法でなく却って推理並びに知的な結合法に、或いは絵画的描写並びに一般的な記述法に近似し、かくて美学的証明に理論的論証を置き換える傾向があるのは当然であろう。もとより小説もそれ自身の意味、それ自身の仕方において証明をもっている、そうでなければ、それはリアリスティックでなく、迫真力を有し得ない。けれども小説の含む論理は知的論理ではなくてむしろパトス的論理ともいうべきものである。「心臓は理性の知らぬ彼の論理をもっている」(パスカル)。美学的証明はパトス的論理による証明を含まなければならない、それは理論的論証であるよりも倫理的証明であろう。フェルナンデスは、小説の人物のもろもろの動機は因果的推理の最終項を表わすのでなく、却ってあらゆる推理、後に来たるべきあらゆる思惟の原初的与件となっている、といっているが、それは如何なる意味を有し得るであろうか。主体的事実は客体的存在に対してその存在の根拠と考えられることができる。そこでまたロゴス的意識に対しパトス的意識には同様の意味における優位が認められねばならぬ。ロゴス的確実性に対する要求ですらも人間のパトス的な不安にその根源を有するといわれるであろう。人間を主体的に捉えて描こうとする小説は、人間を彼の存在の根拠から捉えて描こうとするのである。かような意味で発生的であることが小説の本質と見られ得る。ここにいう発生的は因果的ということと同じではなく、原因結果の連鎖を辿って描くということは却って物語的な記述法である。原因であり結果であるものはどこまでも同一秩序(客体の秩序)に属していなければならぬ。これは一の心理が他の心理の結果と見られる場合にも、或る心理が或る行為の原因と見られる場合にも、しかく考えられねばならない。普通に心理とか、意識とか、乃至は主観とかいわれるものもなお存在に属する。我々が主体というのは単なる主観のことでなく、却って普通にいう主観と客観とを包むものである。主体的・客体的として定義される人間が、それにおいてあるものは、如何なる意味でも客体的な存在とは考えられることができず、却って主体と考えられるのほかないであろう。かような主体は客体とは秩序を異にしている。もしも客体的なもの(ロゴス的なもの)を現実と呼ぶならば、主体的なもの(パトス的なもの)は同じ意味では現実的でなく、むしろ可能的なものである。小説の世界はかくの如き意味における可能的なものの世界に根差している。可能的といっても単に空想的なのでなく、却ってそれは客体的なリアリティとは異る他のリアリティを有するのである。私はこの二つのリアリティを区別して、一方を客体的現実性として、他方を主体的真実性として規定したことがある。そうすれば、フェルナンデスのいう物語と小説との区別は、客体的現実性の文学と主体的真実性の文学という風にもなろう。

しかしながら物語と小説とは、厳密にいうと、ただ理想型的にのみ右の如く区別されることができる。実際には、如何なる小説も物語的要素を含み、また如何なる物語も、それが歴史でなく文学である限り、小説的要素を含んでいるのであって、ただそのいずれが主となっているかに従って二つの範疇が区別されるのみである。文学の取扱うのは生きた具体的な人間でなければならぬ以上、そのことは当然である。そしてそのことこそ真のリアリズムがどこにあるかを示すものである。問題は主体と客体との関係を、弁証法的な対立の深さにおいて理解し、弁証法的な高さにおいて統一するということであろう。しかるにかくの如き弁証法はまた真の意味における人間タイプの構成の基礎でなければならぬ。人間を主体的にのみ追究する文学においては「性格」は描かれるであろうが、タイプは描かれない。性格は内的なものであるが、タイプは単に内的なものでない。ドストイェフスキーは性格は描いたが、タイプを描いていないともいわれよう。しかしまた人間を客観的にのみ捉えようとする文学においては人間の類型乃至種類は描かれるであろうが、個性は描かれない。タイプは一般的な類型のことでなく、却って個々の人間よりもより個性的なものである。芸術家の創造したタイプは個々の人間よりもより真実なものである。

人間を主体的にのみ追求した文学は人格というものを分解してしまった。不安の文学の時期はクレミューによると「人格の分解」の時期である。けれども人間をただ客観的に捉えようとした文学──従来のプロレタリア文学の多くがそうであった──は人間を喪失してしまった。客体的な把握と主体的な把握との相触れ、結合するところに人間は「人間」として創造される。両者の統一が真に歴史的な見方であって、それによって初めて人間は歴史的なものとして捉えられることができる。歴史的な見方は単なる客観主義であり得ない。ネオヒューマニズムの原理は人間の歴史性ということでなければならず、この点でそれは従来のヒューマニズムと区別されるであろう。なぜなら従来歴史的な見方をしたのはクラシシズムではなく、むしろロマンティシズムであった。しかるに新しいヒューマニズムにとってクラシカルな人間のタイプとは歴史的人間のことである。現代文学は、その主観主義的方向も、その客観主義的傾向も、物を、心理を、社会を、流動的、運動的に見ることにおいては一致している。けれども今はそのような見方に、単に運動的に見ることはなお歴史的に見ることではないということを附け加えて考うべき場合である。人間の行為には客観的な物の運動とは違った意味がなければならぬ。人間の歴史性は主体客体の弁証法に基礎附けられている。それだから我々はかつてエル・トオムが創作方法における唯物弁証法の問題を論じていった次の言葉を認めてもよい、「主観及び客観の問題の(あらゆる哲学のこの中心的問題の)芸術形象における正しき解決──この点にいまや弁証法的唯物論の芸術的方法の発展における基本的課題がある。」ただ我々はこの主観というものをより深く考えたいのである。歴史的人間は社会における人間である。社会というのは主観・客観的と考えられる人間がそのうちに生れ、そのうちに在り、そのうちに死ぬる場所である。このとき社会はもちろん我々の外部にあり、我々に対するものと考えられる社会であることができぬ。主体と客体との統一は、ただ主体の側から考えられることが可能である。主体・客体的な人間をつつむ社会は客体的なものでなく、却ってそれが真に歴史の主体である。人間は社会のうちに生れ、社会のうちに死ぬる。「人間喜劇」の成り立つ場所はこのような社会のほかないのである。

さて豊島与志雄氏は書いている、「文学が何等かの進展をなさんとする場合には、殊に、新たな性格が作品のなかに要求される。そしてその要求が満された時に初めて、文学は進展の一段階を上る。文学の進展への動力となるような作家は、何等かの意味で、新しい性格を探求し描出する。バルザックのえらさは、恋の囁き以外に金銭の響きを聞かせたことよりも、より多く、ユーロー男爵やゴリオ老人の如き人物を描出したところにある。フロベールの豪さは、その厳正冷徹な創作態度よりも、より多く、ボヴァリー夫人の如き人物を描出したところにある。イブセンにおけるノラ然り。ツルゲネーフにおけるバザロフ然り。」また曰う、「或る作品を読んで、そこに一人の人間を発見する時、また、一人の人間に出逢って、そこに或る作中の人物を見出す時、吾々は深い喜びを感ずる。そのタイプが新しいものである時に、吾々は生き甲斐を感ずる。そのタイプから出発して、文化を論じ、現代の社会と未来の社会とを論ずることが出来る。そういうタイプの一つの出現は、千百の宣伝よりも、より多く社会の進化を促進させる。」まことに味うべき言葉である。

(一九三三年一〇月)

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